碧血剣 第25話、26話

いよいよ佳境を迎えた『碧血剣』。
そのせいか、今回は映像に色々工夫が加えられていたようですが、
成功したものもあり、失敗に見えるものもあり……(苦笑)


さて、

図らずも、父の仇である崇禎帝(すうていてい)の命を助けることとなった袁承志(えん・しょうし)。
自分に恨みを持っていようとも褒美は与えるという崇禎帝に、自分は冤罪を受けて処刑された袁崇煥(えん・すうかん)の遺児であることを告げ、今度のことは民を思ってのことであり、褒美が目当てではないといいます。
それでもと言うのなら、父の名誉を回復して欲しいと。

袁崇煥の処刑を後悔していると言いながら、何やら迷いを見せる崇禎帝。

が、そこへ折悪しく曹化淳(そう・かじゅん=コレが、承志の一家虐殺の直接の命令者でもあるんだケド)がやってきて、(承志の顔を見て、相当ビックリして)
早々に崇禎帝を奥へ連れて行ってしまいます。
(ここンところ、ちょっと思わせぶりな映像にしてありましたね)

紫禁城を去ろうとする承志に、金蛇剣は次に逢えるときまで預かっておくと告げる阿九。
やがて大乱が起きる。それまでに宮中を去って江湖へ出たほうがいいと告げる承志。
……こういう場合、正直なのは大概女性で、義理だの大儀だのに妨げられて、自分に不正直なのが男性で、……ああ、じれったい。

承志と阿九


一方、こちらは安大娘(あん・たいじょう)。
落とした茶碗(どんぶり?)が真っ二つに割れ、胸騒ぎを感じたところへ訪れたのは娘の安小慧(あん・しょうけい)と、未来の娘婿の崔希敏(さい・きびん)。
さらに孫仲寿(そん・ちゅうじゅ)までが訪れて、闖王・李自成(ちんおう=り・じせい)の勝利を告げたので、愁眉を開きます。

が、続けて訪れたのは、承志に伴われた安剣清(あん・けんせい)。
一旦は、小慧の父親はとうの昔に死んだと、いつもの言葉で退けようとしますが、瀕死のありさまと、これまでの数々を詫びられたことでようやく和解。
小慧とも、ようやく父娘として手を取り合うことが出来ますが ――、
ここで「父さんじゃない!」戸惑う小慧を、そんなコトをいってる場合じゃないと、父親の元へ押しやる崔希敏が、実にイイ。
(というか、珍しくマトモなことを言ってるな、この人って思いました。 ヾ(--;)ぉぃぉぃ
その崔希敏を未来の娘婿と紹介され、誠実そうな若者だと安心して、息を引き取る安剣清。
……この人が、こういう死に方をするって、予想外でした。
ここ何回かのエンディングを見て、ひょっとして妻子を守って死んじゃうのかな~とは思ってたんですが。

それにしても、金庸ドラマには珍しい(?)タイプの、良いキャラでした。

そうして……
崇禎帝の首を取りに行ったはずが、思いもかけず崇禎帝を助けてしまったことを思い悩む承志に、孫仲寿、あなたは間違ったことはしてないと告げます。
国や民や大儀の前に、個人の恨みなどは小さなこと。そうして、父上の何よりの望みは異狄(いてき)から国を守ること。
今度のことは、きっとあの世の父上も褒めてくださるだろうと。

この孫仲寿という人、承志が崇禎帝を殺せなかったと言った段階でも、何か理由があってのことでしょうと言ってくれたし、
(というか、ちゃんと承志のことをわかっててくれるし)
師匠運も良いけど、その前に、良い人たちに育てられたんですね、承志。

さて、そうして。
すまいへ戻った承志のところへは、羅立如(ら・りつじょ)が訪れ、閔子華(びん・しか)からのお礼と七星剣陣2組、14名を送ったとの伝言を伝えます。
そこへ、さらに、五毒教からのお迎えが~。
「そうだった!」と、慌てて出てゆく承志 ヾ(~O~;)ぉぃぉぃ

その後で、羅立如と焦宛児(しょう・えんじ)に結婚(というか、婚約ですか)の祝いを言う夏青青(か・せいせい)。
最初は戸惑い、お嬢さんに俺なんてつり合わないと言う羅立如ですが、宛児が本気だと知り、何とも幸せそうな表情に。
焦宛児も、まんざらではなさそうだったので、このカップルは上手く行くでしょう。
(と、思っておきましょう)

一方、さっぱり上手く行かないのが宮中。
恵王の謀反に続き、次々と持ち込まれる敗戦の報に、怒り、頭を抱え、ついには投げ遣りになる崇禎帝。
(しかも、こういう状況で「皇帝万歳」なんて唱えられたら、ワタシだって蹴飛ばしたくなりますって、あの家来たち)

ちなみに、先日読んだ陳舜臣氏の『戦国海商伝』に書いてあったんですが、民代って、宋やそれ以前の時代みたいに宰相とか、ナントカ尚書とかいう補佐役をおかず、権力と言うか命令系統が皇帝一人に集中するようにしてあったんだそうです。
(そういえば、軍資金の調達とか、援軍を誰に率いさせるかの采配とか、全部崇禎帝が一人でやってたし)
つまりは、システム的に、いざと言う時に助けてくれる人も、一緒に荷物を担いでくれる人も無いわけで~
そこに、あの気性じゃ、そりゃシンドイわ、崇禎帝(~_~;)

というところで、話が承志に戻りますと、
中腰で、クルクル動き回って、一体ナニやってるんだ~? と、一瞬、思ったら、
五毒教の皆さんの点穴を解いてるんでした。
(随分大勢、点穴したのね。それにしても、これだけの人数が動けなくて、建物内にゴロコロ転がってると想像したら……気の毒になる前に鬱陶しいデス(^▽^;)

で、点穴を解いて帰る承志、そのまま見送る何鉄手。
その何鉄手を、五毒教に対する裏切り者と糾弾する何紅薬と斉雲傲(せい・うんごう)。
では、どうすればいいかと問う何鉄手に、教主の地位を譲るようにと迫ります。
「で、誰に?」
「!」
「私より強い相手になら、譲ってあげてもいいわよ」
危機に陥っても強気で……、これでもうちょっと色っぽきゃ、妖艶って表現するんだけどなぁ(笑)
ともあれ、二人を相手に一歩も譲らない何鉄手ですが、斉雲傲を追い詰めたところで、
「教主。お情けを!」
何紅薬の言葉に、本当に情けをかけてか、一瞬手を緩めたのが仇。
斉雲傲の“吐き出した”金蛇に首筋を噛まれてしまいます。

が……、これ。卑怯というより、このオッサン、腹の中に金蛇を飼ってたのか? よく噛まれなかったもんだな~。と、いささか呆れました。

毒が回ったから、殺ってしまえとけしかける何紅薬。
(このオバさん、自分に力一杯身に覚えがあるものだから、何鉄手が承志に惚れて、五毒教を裏切ったと思ってるわけです)

というところへ、不吉な予感を覚えて引き返して来た承志が現れ、何鉄手を助けて連れ去ります。

……問いう事情で、これまでの敵を連れ帰り、さらには毒を抜くために氷蟾(ひょうせん)を潰して与えようとまでするのに、氷蟾がなくなったら、この先困るという以外は、特に意見を差し挟もうとはしない袁府の面々というのは~それだけ承志を信頼してるってことかな。来合わせていた閔子華は、ちょっと複雑そうでしたけど。
(ちなみに氷蟾は、潰してお酒と一緒に飲ませると、さらに強力な毒消し――というか、それこそ、死んでなければ必ず助かるというくらい強力な薬になるわけです。原作(日本語訳版)を読んでない方のため(^.^)

その頃、さらに続く凶報に、家臣から太監から、全部を追い出して部屋へこもってしまった崇禎帝。

その、父上を何とか慰めたい阿九。
椅子に座った崇禎帝の膝に頭を乗っけて ―― までは良かったんですが、曹化淳が信頼に値しないものであることを告げた上に、問われるままに已む無く、情報の出所が承志であることを告げてしまったので、
「その名前は、口にするな」
………………これは、父親としての嫉妬かなぁ。
ともあれ、もうちょっと人の言うことを聞く耳があればねぇ。

その間にも、闖王(ちんおう)軍北京へ迫るの報が届いているのか、貧民に化けて難を逃れようと古着屋へ駆けつけ、それがダメだとなると、そのあたりに座り込んでいる人のボロ服を買い取ろうとする人々の姿が描かれ……
一国が滅びるときはこういうものかと、憂い顔でその姿を眺める承志、阿九を想い、心を痛めます。

一方、回復した何鉄手と焦宛児との間には、何やら友情めいたものが成立した様子ですが……、
何鉄手の、イ族の娘は好きになったものは絶対に手放さない。戦ってでも必ず勝ち取る、って言葉は、意味シンだなぁ……。

が、面白くないのが青青。
毒が抜けても、まだ屋敷に居座っている何鉄手に腹を立て、追い出すようにと承志に迫ります。
で、そのあたりの遣り取りが、(台詞はちょっと、違ってるかもしれませんが)
「(あいつには)傷つけられたし、捕まったし、罵られたし」
「ほとんど何紅薬がやったことだろう」
「あいつだって、一つ穴の狢(むじな)よ」
と、大体、こんなような会話でしたかね?
……って、結局コレ、論点がズレてるというか、承志が青青の気持ちを全くわかってないというか(笑)
(そういえば承志には、嫉妬すべき対象というモノが存在しないんでしたな)

ちなみに青青の焼き餅、見てると、恋する女性のライバルに対するそれと言うよりは、幼児の独占欲――お母さん所へお友達が遊びに来た時に、わがままを言い倒してお母さんを困らせるとか――のようにも思えるんですが、いかがなもんでしょうね。

まあ、そのあたりが、困ったチャンといわれながら、可愛いといえば可愛いあたりでもありますが。

で、その、目下の焼き餅の対象となった何鉄手ですが、
「私は出てゆきませんわよ」
宣言のあと、無理矢理、承志に弟子入りしてしまいます。
……って、渋る承志に、青青の前で、さりげな~く阿九の描いてた肖像画のことをちらつかせたわけなんですが、それにしても師匠を脅して入門した弟子って、他に類がないだろうなぁ。
(入門に際して条件をつけた弟子ってのは居ましたケド)

が、穆人清(ぼく・じんせい)師匠の許可を得なくては弟子は取れないからと、取り敢えずは仮の師弟となった承志、さらに、鉄手の名を捨てるから名付けてくれと頼まれ、守(てきしゅ)の名を与えます。
(の字は、“おそれる”とか、“つつしむ”とかの意味があるのね)

(ちなみにこの後、原作(日本語訳版)では、青青が何守に、「いずれ、師娘とお呼びしますわ」とか言われて、コロッと篭絡(ろうらく)されるシーンがあるんですが、それは省略なんですね。
青青の単純さと、何守のしたたかさの対比が面白くて、結構気に入ってるエピソードなんですが)

と、そうこうするうち、次々と敵(つまりは官軍ですね)を打ち破った李自成は、ついに北京城を包囲。
その李自成軍に協力したいが、何の連絡もないし――と焦る承志の元へも、今夜闖王の陣へ来るようにと、軍師の李岩から密書がもたらされます。
(しかし、孫仲寿おじさん、いつの間に李自成軍と連絡を~(^▽^;)

呼び出しを受けて会いに行った李自成は、豪放磊落と言う感じで、案外気さくなオジサン。
(でも、なぜ裸足?)
承志を李岩とともに身近に座らせて、崇禎帝に対して和議を申し出るつもりだといいます。
もっとも、それはあくまで自軍の兵を損じないためであり、崇禎帝が和議を受けない場合は、容赦なく攻撃をかける。

で、その和議の申し出を受けた崇禎帝ですが、唐禅のごとく、それを蹴飛ばしてしまいます。
……というか、この頃になると、もう完全に投げやりですかね~

そうして、いよいよ始まった北京城の攻撃ですが……
間違って城壁に「宋」の旗があがっとりゃせんか、
(つまり、『神雕侠侶』の襄陽大戦のシーンのフィルムの使いまわしは無いか)
と、じっくり画面を眺めてしまいました(笑)

やがて、曹化淳は、勅命を偽って、勝手に門を開き……
気がつけば、忠実な王承恩(おう・しょうおん)一人を残して、崇禎帝は置き去りにされ、
(個人的には、ここまで人望を失ったたんだ……)

ついに最後を悟った崇禎帝は、剣を手に家族の元を訪れます。
そうして、まずは皇太子を刃にかけようとするのですが、皇后の懇願で断念。
国母(こくも)として国に殉ずるという皇后に毒盃を与え、城外へ逃すことに決めた皇太子に、手ずから古着を着せかけ、
「途中で役人に行き逢ったら、頭を下げて、相手が年配なら旦那様と呼べ。若かったら、若旦那様と呼べ」
平民で年配者なら伯父さん、若者なら兄さんか兄貴。兵士なら~懇々と云い聞かせる崇禎帝。いいお父さんなんですけどねぇ。
本当に、悪い時代に皇帝になったものです。
(失政も、失敗もあったけど)

そして、子供たち(と云っても、皇太子と阿九だけですね、ここに登場したの)を外へ連れ出させ、一人、酒をあおり……
と思ったら、逃げ惑う宮女や太監たちを殺戮してるんですが、このシーン、両方(酒を飲む崇禎帝のアップと、殺戮シーン)がダブらせてあったので、王承恩が駆けつけてくるまで、実際の行動なのか崇禎帝の想念(というか妄想)なのか、ずっと悩んでました。
(だって、崇禎帝らしくないんで)

同じ頃、阿九の身を案じて、紫禁城内をかけまわる承志。

その頃、衣服を改めた崇禎帝は王承恩一人を連れて、祖先の廟に詣でています。
(で、自分のことを崇禎って呼んでますけど、これって諡号(しごう=死後に贈られる名前)じゃなかったのかな)
そこへ、剣を携えて駆けつける阿九。
死ぬも生きるも父上と一緒にと言う阿九に、しかし、剣を向ける崇禎帝。
(ただし、アングルを変えて同じシーンを映すという例の手法、3回までが限度ですね。重要なシーンなのに、見てて「くどい!」って思っちゃった。こういう肝心の場面でのコレは、実に惜しい!)
左腕を切り落とされた娘に、敵の辱めを受けるくらいなら、自分の手で命を絶ってやると、さらに剣を刺しつけます。

が、その剣を跳ね除けたのは、ようやくその場に駆けつけた承志。
「昏君! 民ばかりか、わが娘まで手にかけるか!?」
さらには、袁崇煥の処刑についても後悔していない。毛文龍を勝手に処断し、結果として亡国を招いた彼に罪があると言い放つ崇禎帝に、さらに怒りを募らせる承志。
ですが、王承恩の懸命の命乞いに、意識を失っている阿九を抱いて、その場を去ります。
(ひょっとして崇禎帝、承志の手で殺されようとしたのかなぁ、という気もしますが)

阿九を抱いて屋敷へ戻ったところで、李自成の北京城入城を知らされ、出迎えに行く承志。
その承志に、自分の乗馬を与え、破格の好意を示す李自成。
自軍に略奪、暴行を禁じ、崇禎帝と皇太子の居場所を知らせたものに、高額の褒章を約束します。
(と、ここまでは申し分の無い指導者ぶりなんですけどねぇ(~_~;)

その頃崇禎帝は、北京城を見下ろす丘の上に立っておりました。
……というところで、以下次週。
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コメント

>民代って、宋やそれ以前の時代みたいに宰相とか、ナントカ尚書とかいう補佐役をおかず、権力と言うか命令系統が皇帝一人に集中するようにしてあったんだそうです。

明の時代は宦官が幅を利かせてたんでしたよね!例の永楽帝が、謀反により皇帝の位に着いたので、宰相達に人気が無くて、代わりに宦官を重用しまくったとか。それが曹化淳みたいな人を生んでしまったのかも…。
崇禎帝、お祖父さんの万暦帝が散財しまくったあおりを受け、国を立て直そうにもどうにもならなかったみたいですが、性格的には、やはりTOPの器じゃなかったんでしょうね~。中華皇帝って、天に選ばれし唯一無二の者って感じなので、良い時は華々しいですが、悪い時は全責任を負わなければならず、厳しいです。


阿吉さんへ

永楽帝の時代には、多分例の鄭和、イシハ、候顕あたりが優秀だったのと、それ以前の王朝の末期って、大臣たちが権力を握って、皇帝はお飾りになって、それで国が衰退してゆくパターンが多かったようなので、それを避けるために、皇帝一人に権力が集中するようにしたのかな、とも思います。
が、何にしても、皇帝、皇后の身近に使える宦官って、皇帝に悪口を伝えられちゃ困る、用件を取り次いでもらえなかった困るetc……で、お金と権力が集中するように出来ちゃってたんですね。

>性格的には、やはりTOPの器じゃなかったんでしょうね~。
友人で、TOPのやることは、優秀な№2を選ぶことだけと、極論を吐いたのがいましたが、
そこまで極端じゃなくても、それに近いおおらかさというか、ルーズさがあれば、皇帝稼業も、もう少し楽だったでしょうにね。

そういえば、古代社会においては、国王の役目は何か凶事があった時の“いけにえ”だった、というのを、ふと思い出しました。
“天に選ばれし者”ということは、まだ、その役割も機能してる部分もあったのかな、と想像すると、厳しいというか、ちょっと切ない感じもいたします。

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