秋水長天

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神鵰二次小説 日常小話

「もう、やだぁ!」
 幼児独特の甲高い声に、ぱたた……という小さな鳥の羽音が幾つか重なり、
     また、ちびが癇癪かんしゃくを起こしたな。
 苦笑した楊過は、偶々たまたま岩室から飛び出してきた雀を、無造作にその手に捕えた。

 子供は必ずしも親の容姿や気質をそのまま受け継ぐものではないというが、この楊家の末っ子の場合は、どうやら容姿ばかりでなく気性までも、ほとんどそっくり楊過のそれを受け継いだらしく、負けん気が強い上に、まだ幼いことを割り引いても、かなり気が短い。
 今回、古墓派の修行の第一段階『天羅地網勢てんらちもうせい』の初歩     雀三羽の捕獲     に姉の翠珠すいじゅが手こずっているのを見て、自分ならもっと上手くやれると云い出し、
鴒児れいじ。これは遊びじゃないのよ」
 小龍女が何度も言い聞かせたにも関わらず、
「大丈夫だもん」
 意外な強情ぶりを発揮しての修練の開始となったわけなのだが    
 これは、入門当時すでに十四歳で、多少とはいえ武芸の素養のあった楊過でさえ、最初の一羽を捕えるまでに五日、三羽を一気に捕まえられるまでに八日、さらに、完全な習得     八十一羽の雀を胸もと三尺の結界に囲い込んで、逃さないように出来るまでには、ほぼ半年を要した技である。当然、まだ十歳にも満たない子供に、簡単に習得できるはずはなく、例によっての癇癪かんしゃくと相成ったわけらしい。
「父さん?」
 また? という表情で別の通路から顔を覗かせた長男     楊鴻ようこうに、向こうへ行ってろと目顔で告げて、楊過は『天羅地網勢』習得のための石室へ入る。
 石室では案の定、黒瞳にわずかに非難の色を覗かせたほかは、まったく表情というものを消した小龍女と、むくれた頬に涙目の楊鴒ようれいとが向かい合っている。
 つ、と楊過のほうへ視線を動かし、小龍女が何かを言いかけた。
 途端、
「やだったら、やなの!!」
 同じく、顔を向けた楊鴒が大声を上げ、楊過を失笑させた。
「そうか。“や”か」
 云って、幼い息子の顔を覗き込む。
「や!」
「だったら、仕方がないな」
「うん。しかたない」
 したりがおで口真似をするのに、再度失笑した。
「過児」
 おそらくは、子供を甘やかしすぎるのは良くないとか。口を開きかけた小龍女を楊過は目顔で制する。だったら     と屈みこんで、息子と目の高さを合わせた。
「『天羅地網勢』の修練は、もう、止めだな?」
「うん」
「じゃあ、武芸の修行は、もう、しないんだな?」
「う……」
 頷きかけた楊鴒の動きが止まる。
 この父が、こういう口調で、口の端になにやら笑みらしきものを浮かべてものを云うときは、大抵は、自分達にとって嬉しくない結果が待っているときだと、子供たちは経験から学んでいる。
 なので楊鴒は、一瞬、返事をためらった。
 が、すぐに意地を張って、大きくうなずく。
「そうか」
 予想通りの反応に、笑みをわずかに深いものにすると、楊過は掌の中に包み込んでいた雀を岩屋に放す。
 小さく羽音を立てて舞い上がったそれに、楊鴒は、あ     と声を上げた。
「父さん。あれ、どうしたの?」
「捕まえたに決まってるだろ」
「父さんにも『てんちらもうせい』、出来るんだ」
 青年期に多くの達人と出会い、技を伝授され、後に独自の武芸に昇華させたとはいえ、楊過の武芸の基礎はあくまで古墓派のものである。そうして、古墓派の軽功は天下無双。ゆえに、その軽功の入門技でもある『天羅地網勢』の伝授については、師父であり掌門である小龍女に一任し、楊過は敢て口を出さなかったのだが、やはり、楊鴒には、父が母と同じ技を会得しているという事実が驚きだったらしい。
 『天羅地網勢』ですと、向こうで訂正している小龍女の声などは、無論耳に入ってはいない。
 軽く目を見張った末の息子に、当たり前だと、楊過は少し人の悪い笑みを向けた。
「母さんの一番弟子なんだから」
「過児ったら」
「お前と結婚はしたが、まだ破門された覚えはないよ」
 だったら     と、小龍女は楊過に少し怨ずるような視線を向ける。
「あなたは未だに、師匠を妻にしたと思っているのかしら?」
「どうだろうな?」
 昔に変わらない妻の麗容と黒瞳を眺めながら、楊過はわずかに首をかしげる。
「あの頃は、俺たちの結婚を汚らわしいことのように云う奴らへの意地も反感もあった。だから、ことさら『師匠を妻に』と言い張ったんだと思う」
「それじゃ、今は?」
「師匠でも、そうじゃなくても。お前がお前であって、ずっと俺と一緒に居てくれるなら、それだけでいい」
「うふふふ」
 花のかんばせが柔らかい笑みにほころび、小龍女は幸せそうに     というより、満足そうに声を上げて笑う。
 淡く明かりの灯された石室の中、白衣をまとい、そうして笑みを浮かべて座す小龍女の姿は、艶麗で清雅な白牡丹を連想させる。
 しばし、恋情すら自覚することのなかった少年の日に戻って、楊過はその妻の姿に見惚れた。
 そうして、この幸福は、美しい夢に似ていると思う。
 最愛の妻と、可愛い三人の子供。誰にも妨げられることのない穏やかな生活。この一切が夢で、あるとき、ふと目覚め、そうして自分は    
「過児?」
 気がかりそうな表情を向けてきた妻に、
「なんでもないよ」
 答えて、楊過は笑みを返す。
 今日まで築き上げてきたこれは、決して夢などではない。
 両親が自分達だけの会話を始めてしまい、自分から関心が逸れたらしい。見て取った楊鴒は、こっそりと岩室から出てゆこうとする。
 気付いた小龍女に、楊過が指を一本立てて、黙っていろと合図をする。
 と、その時、
「見て、見て、母さま! やったわ! 雀三羽よ!!」
 翠珠が勢いよく岩室に走りこんできた。
 両親の方をうかがいながら、部屋から抜け出そうとした楊鴒と鉢合わせする形になる。
「きゃ!」
「わっ!」
 声を上げ、もつれ合って転がりかけたのを、咄嗟に楊過が抱きとめる。
 翠珠の手の中から、チチチ……と鋭い声と羽音を立てて、三羽の雀が舞い上がった。
「あん、もうっ! やっと捕まえたのに、鴒児ったら    
 弟に向かって云いかけた文句を途中で止め、翠珠が、あ     と目をみはった。
 目の前に飛んできた雀を、楊過が無造作に右の袖で巻き取っていたのである。
「わぁ」
 声を上げた楊鴒が、
「父さん、ずるい」
 妙なことを云い出して、楊過に顔をしかめさせる。
「何だって?」
「オレも、父さんみたいだったら良かったのに」
「え?」
「だから、右手。オレも、父さんみたいだったら」
「な    
「鴒児!!」
 小龍女が珍しく顔色を変え、声を荒げた。
「お前は、なんということを云うの! 父さまの右腕はね」
「龍児。いい」
「でも    
「いいんだ。ちびすけにゃ、まだ何にもわかっちゃいないんだから」
 云うと、改めて末息子に向き直る。
「鴒児」
 少し重い声音で名を呼ばれて、楊鴒はびくりと顔をしかめて肩をすくめた。
 この父が、こうして改まった口調で名を呼ぶときは、大抵は叱責と決まっている。普段の口調はもう少し軽いし、機嫌の良いときは、大抵は”ちびすけ“である。
 隣では翠珠が、自分が叱られたかのように顔をしかめている。
 そんな姉弟の表情を見て、楊過は思わず苦笑する。
 かつての自分もそうだったが、子供というものは案外。場の雰囲気と大人の表情を読む。
「鴒児。叱りゃしない。いいから、ここへ来い」
 床に直接座り込んで、膝の上を示す。抱き上げ、顔を覗き込むようにして、いいか     云い聞かせる口調になった。
 背中のほうから翠珠が甘えるようにまつわりつき、小龍女を微笑させた。
「いいか、鴒児。阿翠もな。人間ってのは、五体満足     手足に両目、耳、鼻     全部揃って産まれてきて、死ぬまでそのままなのが良いに決まってる」
 身体髪膚これを父母に受くと、髪を切ることさえ厭うた時代でもある。四肢は無論のこと、目や鼻     体の一部を欠いた状態で死ねば、死後の世界ばかりか、転生の後もその状態で生まれ変わると信じられていた。
 さらに極端な話をすれば、宮中に仕える宦官など、切除したものを宝貝パオペイと称して保存し、死んだ時に、それを棺に入れなければ牝の騾馬らばに生まれ変わると、固く信じられてさえいたのである。
「じゃあ     じゃあ、父さま、あの世でも、生まれ変わってからも、右腕が無いままなの?」
 娘の意外な問いに、そういうことになるかなと、楊過は軽い口調で答える。
「父さま、可哀想」
 首に巻きついた小さな手に力がこもり、
     え?
 思って顔を向けると、母の端麗さをそっくり受け継いだ愛らしい顔が、泣きそうに歪んでいる。
 顧みると、きょとんとして父の話を聞いていた楊鴒のほうも、姉につられて泣き顔になっていた。
「お前たち……」
 子供の思いがけない発想に、小龍女と顔を見合わせ、楊過は微笑する。
「父さんはな、今の世でも、生まれ変わってからも、ずっと母さんと一緒に居られりゃ、それだけで充分なのさ。腕が一本足りないくらい、どうってことはない。     来世でも、母さんには苦労をかけることになりそうだけどな」
 苦労だなんてと、小龍女が柔らかい笑みを返す。
「けどな」
 楊過は改めて、末息子の眸を覗き込む。
「お前と鴻児こうじがもっと大きくなって、そうして、お前たちが望むなら、父さんは、父さんの身につけた武芸を全部、お前たちに伝授してやるつもりでいる。だけど、その時には、頼むから右腕が無い方がいいなんて、云ってくれるなよ。いいな」
 ん     と、話の内容がわかったのか判らないのか、ちょっと不得要領な表情で楊鴒が頷き、
「父さま。わたしには? わたしには、教えてくれないの?」
 翠珠が、肩越しに顔を覗き込んだ。
「お前は、母さんの後を継いで、古墓派の掌門になるんだろ」
「でも、わたしにも教えて欲しいの!」
「よし、よし」
 笑って、娘の柔らかな頬に頬ずりをする。
 失った右腕を惜しいと思うのは、こういうときだ。子供たちを一まとめに抱いてやれない。
 それでも、きゃっきゃっと声を上げて笑う娘に、笑みを濃いものにすると、さて     と、楊過は妻を顧みる。
「ちびすけもいい加減疲れてたようだし、子供たちを遊びに出してやってもいいかな?」
「そうね」
 答えて、小龍女は再度、小首をかしげる。
「あなたが修行を始めたときより、ずっと小さいのですものね。今日は、これまでにしましょうか」
 よし、行って来いと背中を叩かれ、子ども達が歓声を上げて飛び出してゆく。
 それを見送って、
「すっかり、甘い父親になったわね」
「お前十分、甘い母親だよ」
 自分達の修行時代を思い、夫婦は顔を見合わせて苦笑する。
「それでも、子供たちはいい子に育ってくれている。そう思っていいのかしら?」
「ああ」
 世間の子供のことは良くわからないけれどと、首をかしげる妻を、楊過は穏やかなまなざしで眺める。
「それにしても、子供というのは、思いもかけないことを考えるものね。まさか    
「龍児……」
 妻の     小龍女の眉がわずかにひそめられるのを見て、
「腕のことなら、俺は気にしちゃいない。何度も、そう云ったろ?」
 わざと軽い、明るい口調で楊過は云った。
「それに、来世でめぐり逢う時に、目印になっていいかもな」
「え?」
「見つけてくれるだろ? それとも、また、俺が探しに行かなきゃいけないのかな?」
「いいえ。見つけるわ!」
 強い口調で云うと、小龍女は楊過の右側に身を寄せる。時折そうするように、服の上から、右腕の傷痕をそっと撫でさすった。
「見つけるわ、きっと」
 そんな妻を抱き寄せ、楊過はその紅唇に唇を重ねる。
 そっと石室を覗いた楊鴻が、弟妹の背中を押し、足音を忍ばせて出て行ったのに、二人とも、気付きもしなかった。





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Comment

 

わぁ~い♪ またreiさんの小説だぁ~♪
 何だか、ほんわか温かい家族のお話で
ずっと微笑みながら読ませていただきました。

楊鴒くんが『天羅地網勢』を『てんちらもうせい』って言ってるのに
思わず((uдu*)ゥンゥン 子供ってよく
こういう勘違いするよなぁ~って
思わず、頷いてみたり♪

幸せな時間の中に身をおく
二人の穏やかな時間に
こちらまで 幸せになってくるようでした☆

今宵も素敵なお話を
どうも、ありがとうございました。


来世でも、必ずめぐりあってねぇ!!
  • posted by 氷無月  
  • URL 
  • 2009.02/08 00:31分 
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  • [Res]

氷無月さんへ 

\(^o^)/ワァ~イ
早速のコメント、ありがとうございます 

楊家の日常風景、気に入っていただけて、嬉しいです。
(しかも、日ごろの私のコメントの量に比して、こんなに長文のコメント。嬉しいよぉ(T_T)

> 楊鴒くんが『天羅地網勢』を『てんちらもうせい』って言ってるのに
> 思わず((uдu*)ゥンゥン 子供ってよく
> こういう勘違いするよなぁ~って
> 思わず、頷いてみたり♪
はい。やりますね~。舌も回ってませんしね~(笑)

こういうのって、書いてる途中で、ひょっこりと浮かぶので、
やっぱり、キャラが自分で喋ったかな~なんて思っています。

楊龍カップル、原作のほうの運命が、とにかく過酷ですからね。
二次小説のほうで、どれだけ幸せにしても、まだ足りない感じがしています。

おかげで、子供の前でも平然といちゃつく両親になっちゃって(^▽^;)
(でも、良いんです。二人が幸せなら♪)

> 今宵も素敵なお話を
> どうも、ありがとうございました。

こちらこそ、読んでいただいてありがとうございました。
この話でぬくもって、風邪を吹き飛ばし~と云うわけには行かないか(^▽^;)

とにかく、お大事に。風邪、早く治して下さいね。


> 来世でも、必ずめぐりあってねぇ!!
はい。来世でも、その次の世でも、必ず! と、二人が申しております(^m^)
  • posted by rei★azumi 
  • URL 
  • 2009.02/08 08:58分 
  • [Edit]
  • [Res]

楽しく読ませていただきました! 

ちびっこが出て、団欒ムードが良いですね(^^)
楊過と小龍女のラブラブも、戦場の中にあると浮いてしまいますが、一家団欒の中だと本当にホッとします。
二人は腕が立つけど、本来は家庭的な侠侶なのかも…と思わせられました(^^)
  • posted by 阿吉 
  • URL 
  • 2009.02/08 12:23分 
  • [Edit]
  • [Res]

阿吉さんへ 

ありがとうございます。

そうか、一家団欒の光景だったのか。
と、コメントをいただいて、初めて気付いた、おまぬけなワタクシ(^▽^;)
でも、まあ、時には、こういう話もよろしいようで(^^ゞ

> 楊過と小龍女のラブラブも、戦場の中にあると浮いてしまいますが、一家団欒の中だと本当にホッとします。
本当ですね~。
ドラマのほうのラブラブシーンには、「あんたたち、この忙しいのに、何やってるの(^▽^;)」と、しょちゅう、突っ込みを入れておりましたが、
この作品の中では、二人の台詞、ごく自然に入れることが出来ました。
後で、読み返して、照れることもなかったし。
(ラブシーンとか、書いた後で無茶苦茶照れるんです(^▽^;)

> 二人は腕が立つけど、本来は家庭的な侠侶なのかも…と思わせられました(^^)
そうですね。
元々、望んで波乱万丈の恋愛をやったわけでもないですし。

でも、もしかして、子育てって、それ以上の波乱万丈かも? e-263
  • posted by rei★azumi 
  • URL 
  • 2009.02/08 14:12分 
  • [Edit]
  • [Res]

 

わぁ♪冒頭から物語の世界に引き込まれました。
読み終わった後、思わず拍手が。パチパチパチ♪
その時代の考え方にも触れられていて、「そうなのか~」と勉強になりました。
体を損なうということは、不自由になるということ以上に深刻な問題だったんですね。
来世の目印かぁ・・・かっこいいなぁ。
これは、来世で二人がめぐり逢うお話も書いて貰わねば。
  • posted by ふく*たま 
  • URL 
  • 2009.02/10 15:28分 
  • [Edit]
  • [Res]

ふく*たま さんへ 

ありがとうございます(*^_^*)
こういう家庭内の話と云うのは、どうなのかなと思っていたんですが、
ほめていただいて、ホッとするやら、うれしいやら(^^ゞ

> 体を損なうということは、不自由になるということ以上に深刻な問題だったんですね。
これは主に、浅田二郎さんの『蒼穹の昴』を参考にしています。

それ以前に、資料とネタあさりで読んでいた中国の小説集で、盗賊などが、
「○○は、五体満足のまま死なせてやろう」
なんて云うシーンが何度か出ていて、不思議に思っていたんですが、
この『蒼穹の昴』で、疑問が氷解いたしました。
なんでも、読んでみるものですね~。

> これは、来世で二人がめぐり逢うお話も書いて貰わねば。
わははは……(^▽^;)
これは、ちょっと墓穴かな。
もし、運良くお話が降りてきたら……と云うことで。
  • posted by rei★azumi 
  • URL 
  • 2009.02/10 18:39分 
  • [Edit]
  • [Res]

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rei★azumi

Author:rei★azumi
ヒト属ネコ科 コタツ猫亜種 読書ネコ
『神鵰侠侶』で金庸にハマった、金庸初心者。
とりあえず、金庸の小説全作品読破を目指すも、突如神鵰侠侶二次小説にハマる。
さて、この先、どうなりますことやら。

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