凪の間に

 闇の中、ふと目覚める。
 もとより、外の光の差し込むはずもない古墓の中である。が、ここで育った小龍女には、およそ丁夜(ていや=午前2時ごろ)と、時刻を測ることができた。  楊過と肌を合わせて、二人ともにそのまま寝入ってしまったらしい。
 半身を起こし、足許に丸まった布団を引き寄せる。肌着をまとおうとして、
 自分の胸元に触れて、小龍女はそっと微笑んだ。
 雪の肌にいくひらか散った桃の花びらは、先ほど楊過の唇がなぞった痕。淡い羞恥と、それ以上の幸福感が胸を満たす。
 その楊過は     彼女の愛する夫は、彼女の傍らで規則正しい寝息を立てている。
 激流に翻弄されるにも似た運命の変転と、それに続く長い孤独のうちに、時には望むことさえ諦めていた、幸福の日々。
 その、これ以上は望むべくもない至福がここにある。
 同時に、
 一縷の、蜘蛛の糸もよりなお細い望みにすがるように、谷の底から玉蜂を飛ばし続けた孤独の日々を、楊過が思いやってくれるように、
 約束の日に向けて、石碑に刻んだ言葉だけを頼りに、楊過が歩み続けた十六年の孤独を、小龍女は思う。
 十六年の星霜は、整った眉目の形はそのまま、まだまろみの残っていた青年の頬の線を、険しさすら感じられる鋭利な男のものに変え、待ちわびた一日と一夜の果ての絶望は、漆黒の髪の中に霜の色の刻印を刻んだ。
 左の肩にうす赤く残るのは、襄陽大戦の激闘の傷痕。
 そうして    
 無残に断たれた右腕の傷痕を目の当たりにすると、小龍女は未だに胸の張り裂ける思いがする。
 全ては天の定めのうち。互いにそう口にし、今の幸福をかけがえのないものと感じてはいるけれど。
    過児。過児。これまで、どんなにか辛い思いをしてきたことでしょう。
 いつの間にか、両の頬を玉のように涙が伝い落ちていた。
 その一滴が、眠っている楊過の頬に落ちる。
「…………」
 何かを呟いて、楊過がうすく目を開いた。
「……龍…児?」
 わずかに眉を寄せ、視線をさまよわせ、小龍女の顔を探し当てると手を伸ばし、彼女の腕に触れ、それでようやく安堵したようにうすい笑みを浮かべる。
 すぐに笑みを消すと、龍児と訝しげに名を呼んだ。
「どうした? 何を泣いている?」
「なんでもないわ」
「なんでもないはずがあるか」
「本当になんでもないの。あなたの顔を見ていたら涙が出てきただけ。夜明けまで、まだ間があるわ。もう休んで」
「………………」
 どれほどの間か、楊過は深いまなざしで小龍女の顔に見入っていたが、つと腕を引いて彼女を自分の胸に抱き寄せる。
 黒髪を、肩を、背を、そっといたわるように撫でた。
 繰り返し。繰り返し    
 いつの間にか、その手の動きが止まり、
 龍児と、ひくく柔らかい声が言う。
「もう、どこへも行くな」
「過児?」
「ここにいてくれ。俺のそばに、ずっと」
 かき口説くようではない。むしろ平板な、半ば夢の世界へ入ってゆこうとしているものの、物憂げな口調    
 それゆえになおさら、その胸のうちに刻まれた傷の深さを小龍女に思い知らせる。
 自ら望んで彼の元を去ったわけではない。けれど    
「行かないわ。どこへも」
 耳元に唇を寄せて囁くと、楊過は再び安堵の笑みを浮かべて目を閉じる。
 いつの間にか、穏やかな寝息を立て始めていた。
 その頬に自分の頬を寄せ、小龍女もまた目を閉じる。
     もう離れない。
 つぶやきは胸のうちである。


 これよりわずか十四年の後。再び始まったモンゴルの侵攻の前に、襄陽はついに落城する。時に大宋の 咸淳九年(1273年)2月。
 さらに六年後、大宋の祥興二年(1279年)2月。涯山における幼帝入水をもって、南宋は滅亡する。
 その、嵐にも海嘯(津波)にもたとえられる時代の激流は、果たして二人を巻き込まずに済むのか    

 だが、今はまだ、ここは穏やかな凪の中にある。













とりあえず、思いついたら何でも書いてみよう。
で、書いたら、この際だからUPしちゃおう。
……ということで、十六年後の古墓の一夜(^m^)

ですが、ワタシが書くと、どうしても甘甘にはならないなぁ(^▽^;)

で、シメの部分が上手く決まらなかったので、時代背景などを入れてしまいました。
物語はハッピーエンドで、二人の子孫すらいるというのに、この二人の行く末が気にかかるのは、彼らがこういう時代の中にいるせいなのかもしれません。
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テーマ : 二次創作:小説 - ジャンル : 小説・文学

コメント

おお!

何やら色っぽい文章で始まりましたね。
でも全然いやらしくないわ~。
やっぱり、rei★azumiさんの文章力だからですね。
甘甘じゃないかもしれないけれど、
楊過と小龍女の持つ大人の静謐さが伝わってきます。
前にも書かれたのと共に、まとめたら、いい本になると思います。

Dさまへ

ありがとうございます(*^_^*)
ちょ~っと、アダルト路線いってみよっかぁ~(爆)
と、気の迷いを起こしたのと、
約束の日に向けて、ひたすら歩み続けた楊過と、いつ果てるとも知れない孤独の中で、ひたすら玉蜂を飛ばし続けた小龍女。
どちらが、より辛かったかな……と思った結果が、このお話になりました。
私が書き表せた雰囲気以上のものを感じ取っていただけたようで、とっても嬉しいです。

久しぶりに、こちらのブログを見に来ました。神侠侶の話を書いてあるのを読みました。
もとの話の世界観を崩すことなく、きれいな画像に想像しながらすう~っとよむことができました。
とにかく、イイ。私の、ストライクゾーンをバシッとうちました。
なんかしらないけど、泣いてしまった。
16年も、遭いたくて遭えなかった二人の想いが伝わってくるようなお話でした。

たぬきちさんへ

遊びに来てくださって、お話を読んでくださって、
そうして、楊過と小龍女の想いに共感してくださって、ありがとう(*^_^*)
十六年間の二人を思うと、ハッピーエンドに終わってるのに、未だに切なくて……というのも、このお話のできる要因になったようです。
これからも、こんな話やあんな話、ぽつりぽつりと(お話が降りてくる限り)書いてゆく予定ですので、時々遊びに来て下さいね。

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