五月闇  -伍-

             第三章  錯綜  (承前)






「藩随一の使い手といわれる田崎さまと、互角に立ち会われたというお前様、これくらいの用心はいたしませんとな」
 武蔵屋の言葉に、信二郎の口許が自嘲の笑みを浮かべる。
 茶に――痺れ薬が混ぜられていたのである。
 濃くてられた茶は、混入された薬の味を消す。熱に鈍った神経には、察知することができずとも当然といえた。
 いや。
 奈津があちらの手に落ちたと知れているからは、毒入りと承知でも飲み干さねばならなかったであろうが。
 崩れかかる姿勢を正すと、信二郎は目を閉じた。
 武士の一人が、その双刀を取り上げる。
「殺すなと、お留守居役さまのご命令でございましたよ」
 武蔵屋の言葉に、田崎が獣めいた唸りを上げる。
「姫様をお隠しになった用心深さは、さすがと申し上げられましょうが、そこはそれお武家様。こういう次第とまでは、思いが至らなんだと見えまするなあ」
 勝ち誇った商人の言葉は、信二郎にはひどく煩わしかった。
「商人は勝ち目のない戦はせぬと仰ったのは、お前様でございますよ。利のない商いはせぬ、ともね。
 お言葉通り、大槻おおつきさまには多額の貸し金がございます。お屋敷に逆らって、回収できなくなっては大変。
 まして、姉というつながりが消えた今、一文にもならぬ遺言などより、商いを取るのは当たり前のこと」
 何を言い訳をしているのだ、この男は。たかが素浪人に――ふと思う。
 表情に――声音のうちに見え隠れしているのは――
 ――恐れか。
 ならば、何を恐れている。
 時に尊大な、時に抜け目のない商人を演じて見せても、根はとんだ小心者。かぶった悪党の皮の下には、凡庸な一個人が透けて見える。
 笑止――と思った瞬間、麻酔薬に冒されつつある脳に、ひとつの直感が閃いた。
「武蔵屋」
 薬のせいか、限界に達しつつある体力のせいか、声を発するのにかなりの努力を要した。
「引かれものの小唄、聞いてみる気はあるか」
 武蔵屋の口舌が、ぴたりと止まった。
 見開かれた眸の奥の畏怖の色を、信二郎は見てはいない。
「喉に突き傷があったところで、自害とはかぎらぬ。武家のやり口、お前が思っているよりも、はるかにきたない」
 ヒッと、武蔵屋が息を飲む音が聞こえた気がする。
 それを最後の記憶に、信二郎は畳の上にくずおれた。



 四ツ谷、元鮫河橋近く。紀州家の広大な下屋敷をたつみに見て、諸大名、旗本、御家人の屋敷など、武家屋敷の多く立ち並ぶあたり――
 小雨に肩を濡らしながら、仙太郎は一軒の大名屋敷の通用門を見張っていた。
 お高祖頭巾の女が、ここから屋敷内に吸い込まれるのを、物影からしっかりと見届けている。
 当時の武家屋敷には、表札などかけられてはいない。確かめるためには、武家屋敷、寺社などの所在を記した切り絵図などの地図をみるか、家格によっては、門扉、瓦などにつけられた家紋から調べる。
 屋敷の構えから見て、相当な禄高の大名だろうが、練塀の瓦に打たれた檜扇ひおうぎに花菱の紋を、珍しい紋だなァと、仙太郎は見た。
 ――これが大槻さまだったら、出来すぎなんだが。
 うっすらと笑みを浮かべたとき、屋敷に向かってくるらしい奇妙な一行が、仙太郎の目に止まった。
 中心は、屋敷に納める商品が入ったらしい長持ちなのだが、それを取り囲んでいる十余りの武士の様子が、いかにも物々しい。先頭の、武骨そのものと云ったいかつい様子の男が、特に目を引いた。
 何の気なしに身を乗り出そうとしたとき、不意に、何者かに後ろから腕をつかまれた。あっという間もなく、小路の奥に引き込まれる。
 もがこうとしても、からだの何処かをきめられているらしく、自由にならない。
 相手は、ご丁寧に口までふさいでくれている。
 小路に引き込まれる寸前、いかつい顔の男の鋭い視線が、仙太郎の立っていた位置を射抜いて通った気がした。まだその辺りにいたら、視線で射殺されるか、悪くすれば無礼討ち。そんなことを思わせる、殺気だった眼光であった。
 一行が屋敷に入ってしまってから、ようやく開放される。
 刹那、
「何しやがるんだ、手前!!」
 殺気もあらわ、懐に呑んだ匕首あいくちに手を掛けて振り返ってから、仙太郎は――え? ――と目を見開いた。
「右近…さん?」
 本所の青柳喬之介の家人、以前、結城信二郎が、忠犬、と思って油断すれば、本性は狼、と評した若者が、穏やかな表情を見せて立っていた。
「――なんだって、ここにいるんだえ?」
「結城殿の行方を追っている」
 しごく簡潔に、右近は答える。
「へ?」
「美緒先生の依頼だ」
「?」
 簡潔すぎて、さっぱり説明になっていない。
 何より、信二郎の行方を追っていて、どうしてここへ来なければいけないのか――
 彼特有のカンで白金の方へ出向いてみた右近は、途中、少し離れた相模殿橋で侍同士の斬り合いがあったという噂を耳にした。それとなく調べてみると、斬った方の太刀筋が、どうも信二郎のものらしい。
 同時に、信二郎の知人がこの辺りにいたことも、思い出した。
 その家から、信二郎たちを乗せた駕籠屋、蔦屋、そして武蔵屋と、糸は思いのほか簡単に手繰れた。が、主人である喬之介に対してでもない限り、右近にはそれを説明する義務はない。
 また、この人物持ち前の寡黙かもくさから、仙太郎の方も説明してもらえるとは、はなから思ってはいない。
「ひょっとして、今の長持ちかえ?」
 そうだ――と、言葉にはせず、右近が頷く。
「あ……あの旦那はぁ――」
 事件に巻き込まれる超能力――などという用語を、もし仙太郎が知っていたら、即刻、信二郎に当てはめただろう。仙太郎たちが興味本位に首を突っ込むような事件には、係わることを好まない。そのくせ、一旦かかわりを持ったとなると、故意か偶然か、事件の核心に一番近い場所にいたりする。
「どういう人なんだよ、あの人は~」
「ああいいう人だ」
 とは口にせず、右近は微苦笑を浮かべている。
 今回の事件に関しては、右近の見るところでは、信二郎は自分で事件の渦中に飛び込んでいった感が強い。
 五歳ほどの童女を連れていたという話に、右近はなんとなくそれを感じていた。それゆえ、意識を失った信二郎が、長持ちでこの屋敷に運び込まれるのを、あえて救出しようとせず、後をつけて来たのだ。
 自分なりに事件の概要をつかみ、場合によっては一臂いっぴなと貸せるように。
 どうするつもりだえと訊ねる仙太郎に、右近はわずかに目を眇めて見せた。
 無論、忍び込むつもりでいる。
 と――
 あ! と、仙太郎が小さく声を上げた。
「あの女――」
 小路の奥からも、大槻家の通用口がわずかに覗ける。その木戸が開いて、お高祖先頭巾の女が、辺りを伺いながら出てきた。
 その姿を目にするのは、これで三度目。百本杭の近くと、武蔵屋の寮と、そして――
「右近さん、あいつ、捕まえてくれ!」
「?」
「あのすべた。――もう! あの女だよ! 絶対、何か知ってる!!」
 じれったげに、仙太郎は叫んでいた。



 気まぐれな雨は、時折地上に細い銀の糸を振りまいては、鈍色の沈黙を見せる。そんなことを繰り返している。
 その空の下を、ぶらぶらと、いくぶん重たげな足取りで、美緒は浅草寺せんそうじ裏の住まいに向かっていた。
 歩調がゆっくりなのは、別段鬱屈うっくつのせいではない。後から追いついてくるはずのお菊たちを待っているのであった。
 それでも、一人でいたくないと思ってしまうのは、心が屈しているからであろうか。
 立ち止まって、ふっと息を吐いたとき、前方から歩いてくる二人連れが目に止まった。五歳前後の童女と、母親ほどの年齢の婦人。が、何か不釣合いな二人連れであった。
 子供のほうは石竹せきちく色の友禅柄の着物に赤いすごきで、町方の子供らしく装わせてあるが、よく見れば、どこかその辺り町屋の子供とは雰囲気が違う。
 対して婦人の方は、人目を引く滝縞の着物に吊り合った色の昼夜帯。先こうがいに結ったびんたぼの形も、掛けた手絡ていがらの色も流行りのものにした、料亭か船宿の帳場にでも座っているのが相応しい、大層粋な女性だったのである。
 目鼻立ちが見分けられるほどに近づいて、見知った顔だと気付く。が――
 ――患者さん……ではなかったと思うのですけれど……。
 記憶を探りながら首をかしげたとき、童女の目がまともに美緒の目を捉えた。
 どうやら、美緒が身につけた鈴の音に引かれたものらしい。ちょこちょこと歩み寄ってくると、可愛らしく小首をかしげて、美緒を見上げる。
「どうしました?」
 幼い子供は、時に行きずりの人を親と見間違えることがある。その類いだろうかと、屈みこんで視線を合わせた美緒に、あの、と声がかけられた。
「竜泉寺の美緒先生?」
 はいと答えて顔をあげると、女が目の前に来ていて、美緒はようやく、その身元に思い当たる。
「蔦屋の女将おかみさん……」
 三年ばかり前、兄がらみの事件で二度ばかり顔をあわせたことがある。美緒にとっては、その程度の知り合いであった。
 直後の火事で、何処かに移転していったとは耳にしていたが、その後の消息など、無論、あの兄が口にするはずはない。
「丁度良うござんした。この子を預かっておくんなさい。この子は――ちッ、来やがった!」
 言葉も半ば、短く舌打ちをすると、
「お頼みしましたよ。ごめんなさい!」
 云って、女将は身をひるがえす。
 駆け去ってゆく後ろ姿に、何なのと美緒は首をかしげ、再び童女の方へ顔を向けると、
「預かって下さいって、ネコの仔でもあるまいし。ねえ」
 何となく、目の前の童女に同意を求めたとき、
「そこの女」
 横柄な声がかけられた。
 視線を転じると、勤番侍らしい野暮な夏羽織が三つほど並んでいる。
 即座に美緒は、この連中を嫌いになることに決めた。
 丁重な物腰の人物がすなわち善人とは限らぬが、少なくともこういった態度の人物がろくなものであったためしは、これまでの美緒の人生経験からは皆無である。
 露骨に眉をひそめたまま、無言で立ち上がった美緒に、違うぞと三人の囁き交わす声が聞こえた。
「その童、そのほうの子供か」
 うちの、年かさらしい一人が訊いてくる。
 この時代の女性は、髪型、衣装などで娘か人妻か、母親かなど歴然としている。美緒は未婚の娘の結う高島田で、当然、眉も落としていないのに、そういった観察眼もないらしい。
 思いながら見てみれば、四角ばった顔の、顎から頬の線がゆるんでいて、
 ――何処かに、こんな顔をした犬がいましたわね。
 そんなことを連想させた。
「わたくしの子供だったら、何か不都合がありますの?」
 逆に訊いてやると、ぴくりと犬の武士が顔を引きつらせた。言葉に含まれた棘に反応したらしい。
「女――」
「残念ながら、わたくしの子ではありませんわ」
 機先を制されて鼻じらむ。これは、案外扱いやすいかも知れない。
「姪――兄の子供ですの。体の具合が良くないので、これから医者に連れてゆこうと思いまして」
 相手の反応を見ながら、言葉をつむぐ。
 この童女と同じくらいの女児を探している侍たち。関わりを想像するのに難くない。おまけに、蔦屋の女将は、自分を見込んでこの子供を託していったらしい。事情は判らないまでも、子供の身柄くらいは確保しておいた方が良いだろう。
「この少し先に、竜泉寺というお寺がありますの。そこの離れを借りていらっしゃるお医者様で――」
「人違いだ。行くぞ!」
 患者の中に、頭に浮かんだことを全部話してしまわないと気の済まない婦人がいる。それを真似て話をはじめると、いらだった様子の犬の武士は、二人の部下に声をかけ、即刻その場を離れていった。
一昨日おとといいらっしゃい!」
 後ろ姿に小さく罵声を浴びせてから、
「妙な拾い物と、また云われてしまいますわね」
 たもとから手ぬぐいを出して、雨にぬれた童女の髪や肩を拭いてやる。
「美緒先生、何やってんの?」
 明るい声が上から降ってきた。
「ああ。お菊ちゃんに――」
 強制的に腰巾着の役を振られている卯之吉である。
「その子、どこの子?」
「わたくしの隠し子です」
 美緒の答えに、ええーっ!? とお菊が大きくのけぞった。
「嘘でしょーっ!?」
「相手はだれ? やっぱり若様?」
「だよねぇ」
 と、二人の云う『若様』とは、本所の青柳喬之介。
 興味津々、身を乗り出して来る若い二人に、嘘ですよと笑って見せる。
「たった今、ここで拾いました」
「拾……拾いましたって……。子供が、そう簡単に落ちているわけが……」
「あら。結構落ちているものですわよ。知らないのですか?」
「美緒せんせ~(^▽^;)」
莫迦ばかは放っておいて、本当のところは何なの?」
 ずいっと、お菊が身を乗り出す。
「わけ有りの預かり物、と云うところですわね。それで――あら!」
 小さく、美緒は声を上げた。先ほどの犬の顔の武士とその部下が、通りの向こうを横切ってゆく。
「あなた方、この子を本所へ連れて行ってください。わたくしは、あの人たちの後をつけます」
 患者に対する命令口調で云うと、美緒は小走りに駆け出している。
「何だって云うの、美緒先生」
 預けられた童女を見ながら、お菊は半ば呆然と声を上げる。
「この子を本所の若様のところへって?」
「実は、若様の隠し子だったとか」
「まっさかぁ!」
 卯之吉の言葉に、お菊が大仰に反応する。後世ならば「ええーっ! うっそぉーっ! 信じられなぁい!」とでも云うところであろう。
「やぁねぇ、卯之ちゃんってばぁ」
「で、どうするの、この子?」
 つくんと立ったままの童女を抱き上げながら、卯之吉が云う。
「連れてゆかなきゃぁ、しょうがないでしょうが」
「……そうだね」
 二人の間の主導権は、常にお菊が取っている模様である。




「それで、当方に連れてまいったと申すのか!?」
 玄関先で手を腰に当てて、上月半左衛門衛門は、不機嫌そのものの顔で、若い二人と一方の腕に抱かれた童女を見据えた。
「いくら美緒殿の頼みじゃとて、犬猫の仔でもあるまいに、何でもかでも連れてくれば良いというものではないわ!」
「だあってぇ――」
 反論を試みるお菊を、だあってぇ――ではないと、怒鳴りつける。
「しかも、申すに事欠いて、若の御落胤ごらくいんかも知れぬとは、何たる戯言たわごとを。若に限って、そのような不祥事のあろうはずが――」
「わたしの子供が、どうかしたと?」
 いきなり、後ろから声をかけられて飛び上がる。
「わ……若……」
 老人の背後に、喬之介が立っていた。
「い、いつの間に……どうして……」
「爺の声は、奥の間にいても聞こえる」
「そ……それは……」
 と老人、言葉につまっている。この場合、お耳汚しでございましたとも、云えぬではないか。
 それで? ――との、喬之介の問に、
「若様、身に覚えがあるの?」
 卯之吉が不躾ぶしつけな質問を発した。
「ないわけではない――」
 典雅なかおに、喬之介はふわりとした笑みを浮かべた。
「――などといえば、爺が卒倒するであろうな」
「若!!!!」
 老人の頭は、茹で上がったタコの様相を呈しつつある。
「実のところ、全くない」
「それはそれで、情けなくない?」
「お菊っ!!!」
 と、怒鳴りつけたのは無論、上月老人で、若い主のほうは失笑まじりに、そうかも知れぬななどと呟いている。
「わ……若っ!」
「それはともかく、どのような子供だ?」
「どんなって、目の前に――あっ!」
 莫迦ねと、お菊が卯之吉の袖を引っ張る。
 普段の立ち居振る舞いに不自由さが見て取れぬこともあってか、その人の目が見えぬことに対する配慮を、つい欠いてしまいがちな卯之吉であった。
「あっ、あのっ、あのっ、市松人形みたいな可愛らしい女の子で――ほら」
 焦り気味に、抱いていたのを差し出す。
 乱暴に扱われたのを嫌がったのか、童女が身をもがいた。
 かたく握りしめていた左手を開く。
 手の中の鈴が、鋭い音を立てて、玄関先に転がった。
「この子が持ってたんだねえ。可愛らしい銀色の鈴」
 拾い取ったお菊に、
「その鈴の音――」
 喬之介が表情を厳しいものにして云った。
「その鈴、信二郎のものではないのか?」


                                     つづく
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