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五月闇  -玖-

      第五章   血闘(承前)


                            「うぬは――」
 獣の雄叫びに似て――喚いた田崎新八の目に燃え上がったのは、紛れもない凶暴な歓喜の色であった。
 この度の討手から、何故にか彼は外されていた。
 命に背き、えてこの屋敷に掛けつけたのは、この男ゆえの野生の獣に似た直感であったろうか。
 そして、そこで宿敵に出会った。
 飼い犬以下と彼を罵り、さげすんだ男。
 重傷の身で、彼に手傷を負わせた男。
 曽根を殺し、屋敷から影のように逃れ去って見せた男。
 目前にして、田崎新八の胸に燃え上がったのは、憎悪でも屈辱でもなく、ただ満々たる闘志であった。
 倒してみせる。今度こそ!  
 雨を透かして見る相手の顔が、静かに微笑わらったように思えた。
「信二郎!」
 降りかかる雨を避け、軒先に立った小兵の老人が、声を張った。
「これを使え!」
 脇差しは不利と見て、投げた老人の差し料を、信二郎は受け止めた。
 下げ緒を口にくわえて、鞘を払う。
 左手は垂らしたまま。左の肩から袖にかけて、黒ずんだ色彩が広がっている。
「結城信二郎。……まいる」
 雨音あまねいて、凛とした名乗りが上げられた。
 刀身が片手残月の型に構えられるのを見て、田崎新八は会心の笑みとともに刀を抜き放った。



 対峙たいじする二つの影を――さらに、呪縛されたようにそれを見守る影を包んで――雨足がさらに、激しさを増した。
 紐のような雨が、視界を白く塗り込める。
 不思議に、音は聞こえない。
 激しすぎる雨音は、人の耳に捕らえうる領域を超えているのかも知れなかった。
 その中で――
 対峙する影の一方が、構えを上段に移すのが、おぼろげながら見て取れた。
 誘うように――
 下段に構えたもう一方の切っ先が、わずかに撥(は)ね上げられた、
 刹那、
 二つの影が交錯した。
 位置を入れ替えたそれは、しばしの間、ともに残心の姿勢を保っていたが、やがて一方がくずおおれるように水溜りの中に片膝を落とした。
 そして、二・三度瞬きするほどの時間が過ぎ去ったのち――
 残る一方の体が大きく揺らぎ、そのまま、朽ち木が倒れるように、どうと前のめりにたおれた。
 白く飛沫があがり、仆れた敗者の背を、肩を、雨が激しく叩く。
 不意に聴覚を取り戻したかのように、雨の音が耳に飛び込んできた。
 勝利者は――
 転じた視線の先で、信二郎もまた、うずくまるようにして、雨に打たれていた。
 刀を支えに立ち上がろうとして――容易に立ち上がれぬらしい。
 面を伏せたまま、痩せた肩が二度、三度、苦しげな喘ぎを見せた。
「や。こりゃ、大丈夫か。しっかりせい」
 手負うたのか――と、走り寄った老人が差し伸べた手に、それでも、煩わしげにかぶりを振る。
「この……強情者が」
 お互い様と、常なら即座に帰ってくる悪態も、今は、口にする気力もないらしい。
 顔からは全く血の気が失せ、唇は更に色を失って、紫色であった。
 その蒼白の顔が、奥の間から聞こえた声に、きっともたげられる。
 座敷から、血刀を手にした喬之介が、走り出てくる。
 今聞こえたのは、紛れもなく断末魔の女の悲鳴。
 そして、それに続いたのは、火の付いたような幼児の泣き声であった。




 千代姫がかくまわれている奥の間へ、八重が手引きをするのは、彼女を除いて五人のはずだった。それ以外の者は、手分けをして、この屋敷の住人を始末する手はず――その逆の事態が起こっていようとは、八重は夢にも思ってはいなかった。
 夢中で屋敷の中を走っているうちに、八重についていた侍は、一人残らず姿を消している。が、それを訝しむゆとりは、八重にはない。むしろ、そのほうが都合がよいとも思う。
 まだ、自分が屋敷方のものだとは気づかれてはいないはずだ。危険を知らせるふりをして姫に近づき、始末する。
 中庭を囲むかたちに設けられた細い回廊を通り、最初に開けた部屋は無人。闇だけがひっそりと、わだかまっている。
 次の間も。さらに次の間も――
 襖が開け放たれたままの、無人の幾部屋かを経て、墨絵で山水を描いた襖を開けたとき、八重はようやくその向こうに、静かに佇んでいる女の姿を見出すことができた。
 美緒――と、たしかこの屋敷のあるじが、そう呼んでいた。八重は記憶の糸を手繰る。
 女医と、おんなだてらに医師をしていると、他の誰かが口にしていたか。
 もう一人の娘――さらには千代姫も、この奥の間で息をひそめているのだろう。
 この部屋も畳が上げられ、簡単に血が洗い流せるように用意がされていた。
「美緒ねえさま」
 隣室から姿を見せた千草を、手の動きだけで制して、
「八重さん」
 静かに美緒は、眼前の女に声を掛けた。
 清水を思わせる澄んだまなざしが不快で、八重は眉を寄せる。
 嫌な女。最初に見たときから、そう思っていた。
 この屋敷の誰からも、好意と、敬意をさえ込めたまなざしを向けられていた女。
「すこし、お話をしませんこと?」
「命乞いはききませぬよ」
 冷酷に云い捨てると、そんな無駄な真似はしませんと、朗らかな笑みが返ってきた。
 憎らしいほどの落ち着きぶりというのだろうか。その態度に、なんとなく気を呑まれかけているのがわかり、不快感が一層募る。
「あなた、おこうの方さまのご主人だった方のお身内ですね。それも――多分、妹さん」
「ならば、なんとした!?」
 思わず見せた激昂が、はからずも、美緒の言葉が正鵠を射ていることを示してしまう。
「どうもいたしませんわ。賭けをしただけですもの、喬之介さまと。それにしても――何故ですの?」
 小首をかしげて訊く美緒の姿に、別の人間の同じ問いが重なり、引き裂いてやりたいほどの憎しみが、八重の体内で膨れ上がってくる。
「何故、我らに力を貸す?」
 そう尋ねた、自愛深さを装った、あの留守居役――
 眸の奥にあった蔑みの色は、永久に忘れることはできない。
「あなたの仰ったことが事実なら、あの小さなお姫様は、あなたの姪ということになるのでしょう?」
「姪でなど――あの女の産んだ子が、兄の子でなどあってたまるものか!」
「あらまあ」
 むしろおっとりと、美緒は首をかしげている。
「お前などにわかるものか! 妻を奪われ、名誉を奪われ、ついには命までも奪われた兄の無念。傍らで、それを見ているしかなかったわたくしの――」
 お前も同じ立場になってみるがいい。内心で八重は叫ぶ。
 あれが、あの卑劣漢の妹よと、誰もが指をさす。兄が死んだ今でさえ、あれが妻を売って二百石を手に入れた男の妹だと、誰もが軽蔑の視線を向ける。そんな立場に。
「わかりませんわ」
 静かに――ごく静かに、美緒は答える。
「わかりたくもありません。――わたくしの兄がその立場なら、そうなる前に妻女を連れて、脱藩していましょうから」
「兄を蔑むのか!?」
 事情も、内心の苦衷も知らず、兄を蔑んだ藩のものと同様に。
 わたくしの兄なら――誇らしげに云い切った言葉が、八重の怒りに油を注ぎ込む。
 しかし、いいえと云った美緒の次の言葉は、その怒りに冷水を浴びせかけた。
「わたくしが蔑むのは、八重さん、あなたです。あなたが憎んでいるのは、あね上? それとも、あの小さなお姫様なのですか?」
「何を――」
「誰かを憎まずに入られなかった。その、あなたの心情は是としましょう。でもあなたは、それを何の罪もない小さな子供に向けた。しかも、藩侯の命令という大義名分を負わねば、復讐することさえできなかった。
 あなたが、正当な怒りを向けるべき藩侯のね。ですから、八重さん。わたくしが軽蔑するのは、あなたです」
「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れッ!!」
 甲高い声で、八重は叫びたてる。
 きついまなじりが一層つりあがり――自分が今、どれほど醜悪な顔つきをしているか、八重は知らない。
「方々、こちらですッ! この奥に姫が!!」
 襖を開け放ち、叫び立てる。
「来ませんわよ。誰も」
 冷酷に云ってから、美緒はすぐに、あらと小さく声を上げる。
「意外と頑張っている方が、いらっしゃるんですのねえ」
 応えるように駆けつけた足音は、わずかに二つ。
 現れた人影は、しかし、双方ともが手負いだった。
 しかも一方は――泥水に濡れた衣服の右袖はダラリと垂れ、そこから流れ出た鮮血が、半身を、床を、朱く染めている。利き腕と多量の血を失い、顔面を土気色に変えながら,双眸から闘気が失われていないのが、いっそ不気味であった。
「斬って! この女を!!」
 八重が鋭い声を上げる。
「な……莫迦な!」
 美緒が驚愕の声を上げた。
 八重の言葉に反応したように、片腕を失った武士が、美緒の構えた小太刀に、体ごとぶつかってきたのだ。
 心臓部に、まともに刃を打ち込まれながら、自身の体で刀を封じる形になる。
 死体同然とは云え、男の力と捨て身の勢いに押され、後ろの壁に体をぶつけ、美緒は小さく悲鳴を上げる。
「美緒ねえさま!」
 こちらも、悲鳴同然の声を上げながら、千草が向かってきた男に、渾身こんしんの一刀を見舞う。
 その刀身を素手で掴んで奪い取ると、男はようやく床の上に倒れ付した。
「あなた方は! それほどまでに、主命とやらが大事なのですかっ!?」
 美緒の怒りの叫びを耳の端に入れながら、八重は奥の間に続く襖を引き開けた。




 奥の間に続く襖(ふすま)の向こう。
 予測通りのものを見出し、勝利と残忍な歓喜に、八重は心をふるわせる。
「覚悟ッ!」
 鋭く云って、走り込もうとする。
「右近殿ッ!!」
 背を打ったのは、千草の声。
 同時に、背から胸に走った鋭い衝撃が、八重の足を止めさせた。
 奇妙な冷たさが、その一点から全身に広がってゆく。
 そこに向けた目が、胸から生えている奇妙なものをとらえた。
 細く長い、鉄の棒。
 生えているのではなく、背から胸へ突き抜けているのだと、鈍くなった思考が、ようやく気づく。
 のろのろと後ろを振り向いた八重の目に、最初に自分をとらえた男の姿が映った。
 自分をこの屋敷に伴った、美貌の若者の連れ。
 対照的に、ひどく印象のうすい男だった。
 では、胸のこれを投じたのは、目の前のこの男なのだろうか。
 この目立たぬ男が、このような技を持っていようとは――
 胸に刺さった棒手裏剣を引き抜く。
 鮮血が、衣服と手を染めた。
 血まみれの手で、血まみれの凶器を振り上げ、八重はよろめく足を踏みしめた。
 恐怖に顔を引きつらせた童女の、小さな白い顔が、かすみかけた目に映った。
 なぜ、誰もが、この子供をかばおうとする。
 憎い、あの女の子供なのに。
 やさしい――気弱だけれど、優しかった兄を裏切った女の子供。
 庇ってやる値打ちなどないのに。
 一歩を踏み出したとき、風のようなものが首筋を薙いだ。
 視界が鮮やかな赤に染まり――と思うまもなく、それは墨の色に変わった。
 血は赤いはずなのに――埒もない思考がつかの間過ぎってゆき、鋭い泣き声が、それを断ち切った。
 ――千代姫……。
 憎い、あの女と和泉守の娘。
 姪などで――兄の娘などであってたまるものか。
 お幸の方の不義の噂を流したのは、他ならぬ、この自分なのだから。
 ――藩侯の命令という大義名分を負わねば、復讐すらできない。
 美緒の言葉を、冗談ではないと嘲笑う。
 父親の手で我が娘を、家臣の手で主君の姫を討たせてやる。それが自分の復讐。
 ―もう少しで、思いが叶ったものを……。
「……もう………少しで……」
 その言葉を最後に、八重の意識は、深い常闇の中に沈んでいった。




「皮肉なものですわね」
 ぽつり。溜め息と一緒に吐き出した言葉に、
「………美緒?」
 低い声がかけられた。
 視線を転じると、眠っていると思った信二郎が、問いかけるようなまなざしを向けていた。
 信二郎と右近が戻ってきてから――信二郎の場合は、戻るという云い方は正確ではないのだが――約一時(2時間)が経過している。
 部屋々々の血は洗い流され、死骸も取り片付けられ――上月老人は、死骸を大槻家藩邸の塀外にさらしてきやるといきまいていたが、それは止めになったらしい――傷の手当てを受けて床に就いた信二郎の、美緒は枕元に付き添っている。
 何ヶ月かぶりに見る兄の顔は、負った深手のせいか、ひどくやつれて見えた。
「眠っていらっしゃればよろしいのに」
 云うと、ごくうすい笑みが返ってきた。
「……溜め息が耳について、眠れぬ」
「まあ」
 睨むふりをして見せて、美緒の表情は、すぐに淡い笑みに変わる。
 そういう云い方で、内心の鬱屈を吐き出させようとしてくれている。
 その証拠に、この世でただ一人の妹に向けた信二郎の目は、ひどく優しい。
 実に屈折した愛情の示し方をしてくれる、兄なのであった。
 おそらくは、こうして意識を保っていることさえ苦しいだろうに。
「どうぞお気遣いなく、お休みになってくださいませ。もう、溜め息は、お聞かせいたしませんから」
 つんとして強がって見せると、吐息めいた低い笑い声が返ってきた。
「……では…勝手に、独り言でも云っていろ。…………聞きながら、眠る」
「兄さまっ!」
 云ったときには、信二郎はもう、目を閉じている。
 まったく――と、溜め息をついてから、美緒はちらりと舌をのぞかせて、肩をすくめた。つかないと云ったそばからの溜め息。でも、これは兄さまのせい。
「八重さん……といいましたわ。あの人――」
 懐から、血に染まった遺書が見つかった。
 お幸の方の不義を捏造ねつぞうし、家臣の手で藩侯唯一の姫を討たせるように仕向けた、その告白の書であった。
 最後は自害か、あるいは自害に見せかけた失踪によって、遺書の信憑性を高めるつもりでいたのだろうが――それに踊らされた藩侯も家臣も、愚かなこと極まりないが、目論見が成功していたら、どれほど無残な結果になっていたことか。美緒には想像すらしたくもないことである。
「憎んで、憎んで。何もかも――罪もない、あんな小さな子までを憎んで。最後に残した言葉までが……。その人が結局、あの子に声を取り戻させてやることになったのですもの。こんな皮肉なことってありまして?」
 朱に染まった八重の姿に、目の前で殺された母の姿を思い出したのだろうか。千代姫は、喉いっぱいの悲鳴を迸(ほとばし)らせた後、火が付いたように泣きじゃくった。そして、
「口にした言葉が『母様』ですもの」
 あの世で知ったら、さぞ悔しがるでしょうねと、小さく笑う美緒の表情は、しかし、奇妙に乾いている。
 ざまをみろと云ってやる気には、さすがに、なれぬらしい。
 その幼い姫は、泣きつかれて、今は眠っている。
「とにかく、何かを憎まずにはいられなかった。それは、わかるような気がしますわ。でも……」
 言葉を捜すように、視線をさまよわせる。
 雨は小降りになっているのか、それとも、この座敷にまでは雨音が届かぬのか、美緒が口をつぐむと、どこか柔らかい静寂が、座敷の支配者になる。
 傷を負って帰って来た兄の姿を見たときには、悲鳴が洩れそうになった。
 体中に刻まれた傷――刀創ならばまだしも、拷問によってつけられたそれを見たときには、怒りで身裡が慄えた。
 この兄を喪うことがあったら、自分は怒るだろうか。悲しむだろうか。
 どちらにしても、怨みに目をふさがれて、八重のように生きることだけはすまいと思う。
 かつて、養父の横死にあった、あのときがそうであったように。
「わたくし……随分とひどいことを云ってしまいました。でも、可哀相な人と、そう云ってあげる気には、どうしてもなれませんの」
「それでいい」
 低く、答えがあった。
「え?」
「自ら望んで、地獄へ落ちた娘だ。哀れみなど望むまい」
 半ば夢の中にあるものの、どこか朦朧もうろうとした口調と声音。
「兄さま……」
 見直したときにはすでに、信二郎は軽い寝息を立てている。
 瞬間、美緒は軽く目をみはり、すぐにその黒目がちの双眸を、きらっと光らせた。
「でしたら、うんと哀れんであげることにいたしましょう。八重さんが地獄とやらで、歯ぎしりして悔しがるように」
 人の悪い笑みを浮かべて、ひとりごちる。
 額においた濡れ手ぬぐいを取り替えたとき、障子に影がさした。
 美緒さんと、囁きにまで落とした声が掛けられる。
「信二郎の様態は――?」
 案じた喬之介が、自身で様子を見に来たものらしい。



 その日は、もうそれで終わった。もう、何も起こるまいと、誰もが思った。
 だが、波乱に満ちた一日は、その終わりに、更にささやかな最後の一波乱を用意していたらしい。
 童女の悲鳴で、それは始まった。
 真っ先に叩き起こされたのは、添い寝をしていた千草である。
 この子のことはわたくしに任せて、美緒ねえさまは信二郎さまについていて差し上げてくださいませと、胸をたたいて引き受けたにもかかわらず、どうなだめればよいのか見当も付かず、途方にくれた表情で美緒を呼びに来る。
 慌てて飛んでゆき、抱きしめて、子守唄を歌いながら優しく揺すっていると、どうやら落ち着きを取り戻してくれた。
 言葉とともに封じられていた記憶が戻ってきて、母親が殺されたときの光景を夢に見たらしい。よくまわらぬ舌で云いつのる千代姫の言葉から、美緒はそう判断したのだが、それに続く一連の訴えに、呆然と目を瞠ることになった。
 御殿にいるのは父親ではない。童女は泣きながら、そう訴えているのであった。
 父さまの顔をした怖い人が、父さまの代わりに、姫と母さまのところへやってきた、と。
「事実だったら、とんでもないことですわ」
「……………………」
 娘二人は、ただ顔を見合わせる。
 事実なのか、夢なのか。それとも、恐ろしすぎる体験が、幼子の記憶を捻じ曲げ、実父を実父でないと云わしめるのだろうか。
 あれは母様を殺した恐ろしい人。決して父様などではありえないと。
「何にしても、幼い子供の云うことだからと、片付けてしまってわいけませんわね」
 美緒の言葉に、千草は神妙な顔でうなずいた。



 その同じ夜――
 降りしきる雨をいて――
 黒衣の一団が、日本橋の武蔵屋を襲った。
 次々と上がる断末魔の悲鳴を、折からの雨が消し、人々が漸くその惨事に気づいたのは、翌朝になってからのことだった。
 武蔵屋に賊が押し入り、主人、家族はもとより、使用人までが一人残らず惨殺。金品も尽く持ち去られた。
 偶然という言葉で片付けてしまうには、大槻家にとって、あまりにできすぎた惨事。
 仙太郎が持ち込んできたその知らせを、信二郎は、ひどく冷淡な表情で聞いた。

                              
                                つづく
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