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闇の塔  弐

      第一章  魔公子


 序章より


                   

 
 はるか昔――語り部たちが上代と詠んだ時代、〈ひつ〉は中原の半ば以上を支配していた。
 《闇》と呼ばれた悪しき勢力との戦いに勝利を収め、《人》を守ったとされる、神々にも等しい王と女王の統治のもとで。
 しかし、神族にも等しい力を持つといわれた《上古の民》の出身である聖王たちが逝き、《闇》を制するのに使われた七つの星石、さらには紋章の由来となった二振りの神剣が相次いで失われると、〈畢〉の国力は急速に衰え始める。
 そうして、建国から千年を経た現在では、〈畢〉は《上古の民》の末裔という血脈のみを誇りに、〈かい〉を名目上の宗主国に、三十あまりに分裂した小国のひとつとして、かろうじて存続を許されているにすぎなかった。
   その時までは。
 十年前、先の国主が若くして没し、わずか十五歳の少女のような美貌の世継ぎが国主の座に上ったとき、組しやすしと見た隣国の主が戦を仕掛け、呆気なく敗れ去った。
 〈畢〉の  璞煌星はく・こうせいの台頭の、それが始めであった。
 その勝利が、武勇でも軍略の結果でもなく、この世のものならぬ軍隊の手によってもたらされたことが世に知れ渡った頃、侵略者であった隣国を版図に納めた〈畢〉の若い支配者は、近隣の諸国を切り取り始めていたのである。
 時を経ずして、侵略の手は、かつての〈畢〉の領土の全域に及んだ。
 繰り返される戦乱。
 荒廃する大地。
 支配でも侵略でもなく、ただ流血のみを目的とするような――かつての《闇》の再来かとも噂される〈畢〉の軍。
 その陣頭には、必ず白馬に乗った美貌の貴公子と、影のように従う女の姿が見られた。
 そして、〈魁〉の星紀四百九十八年、初秋――



 蹄の音が迫る。
 恐怖に声も出ず、哀願するように両腕を差し上げた女に、騎兵のかたちをした死が、哄笑を放ちながら槍を叩き付けた。
 その先には、幼児の死体が転がっている。 
 馬蹄に踏みにじられる老人もいる。
 家族を守ろうと、斧を手に飛び出した男が、傍らを駆け抜けた騎兵に首をはねられて倒れる。
 女たち、子供たちの悲鳴。
 呪詛。哀願。苦鳴   
 この日、山間の小さな村は、この世に具現した地獄と化していた。
 胸に二剣の紋章をつけた鬼たちが、何一つ抵抗する術を持たぬ村人たちを追い回し、剣を、振るう。
 逃げ惑い、倒れてゆく村人。
 草葺きの屋根の一つから、炎が吹き上がった。
 騎兵の一人が、泣き叫ぶ幼女をつかみあげて、その中に叩き込む。
 その  
 地獄絵図を冷ややかに眺める、一対の目があった。
 馬上の貴公子の、この上なく美しい顔に填め込まれた、黒曜の色の宝玉が。
 公子の後ろには、今日は従う女の姿はなく、その代わりとでも云うように、闇色の鳥が肩の上で翼を休めている。
 と名付けられた公子の愛鳥。
 鷲ほどの大きさ。白鳥を思わせる優美な肢体。しかし、その嘴と爪は、猛禽類のそれである。
 そして  
「止めさせてくだされ! 後生です! お願いでございます!」
 あぶみに取りすがり、また、地面に額を擦り付けて、村長らしい老人が、必死の哀願を繰り返している。
「申し上げます。姫様のお行方を申し上げますから、どうか……」
「そなた、公主の行方を知らぬはずではなかったのか」
 いっそ優しいといえる口調で、公子は問うた。
 氷雪に――あるいは、振り下ろされる刃に、優しさがあるものなら。
 はっと、村長が身を硬くする。
「躬は、欺かれるのは好まぬ」
 ふわ……と、公子の方から、闇色の鳥が飛び立った。
 老人の顔に、鈎爪を突き立てる。
 悲鳴が苦悶の呻きに変わり、それが消え果ても、公子はそれに目を向けようともしなかった。
 顔面をどす黒く染めて息絶えた村長の死体から、公子の肩に鵺が舞い戻る。毒を含んだ鈎爪が、銀の肩当の上に位置を占めると、ようやく公子の口許に、冷ややかな笑みが上った。
 璞炫はく・げん、字を煌星。この年二十五歳の、年若き〈畢〉の支配者である。
 頭頂をわずかに玉の釵で留め、残りを背に流した射干玉ぬばたまの髪。同じ色の眸。いかなる美女も恥じ入って面を伏せるであろう美貌。華奢に見えるほどにすらりとした体つき。
 しかし、その優しげな姿にもかかわらず、白磁の肌の下を流れるのは、人の子の赤い血ではあるまいと、人々は噂する。
 この日、〈壁〉の北辺にある小さな村に、公主を擁する一行が立ち寄ったとの情報を入手し、煌星は自ら軍を率いて馬を進めた。
 しかし、公主らは既に立ち去ったあとであり、村人は、頑としてそのようは事実はなかったと云い張った。
 その結果がこれであった。
 虐殺は、なおも続いている。
 村人を追い回す騎兵たちは、彼らもまた自分たちと同じ人間であることを、忘れているようであった。獣を狩るように人々を追い詰め、屠ってゆく。鎧を返り血で染め、哄笑とともに馬を駆る宇文糺うぶん・きゅうの姿も、その中にあった。
 公子の守役の息子でもある楊駿よう・しゅんは、渋面を隠さない。
 それは、村を取り巻くかたちに配置された兵士たち、そして、少し離れた場所で腕組みをして立っている聶鋭じょう・えい  蒼牙と、彼の部下たちも同様であるらしい。
 もっとも、青年の闇色の眸は、常と同じで何の感情も表してはいなかったが。
 不意に  
 兵たちの間で、ざわめきが起こった。
 少年が一人、騎兵の手を逃れ、村の外へ飛び出したのである。
「そっちだ! 行ったぞ!!」
 蒼牙に向け、宇文糺の怒号が飛ぶ。
 しかし、黒装の傭兵隊長は、腕組みを解こうとすらしない。
「こらっ! そこの男っ。抜かんかッ!」
 少年を追ってきた宇文糺が、傭兵の一人に怒声を浴びせかけた。が、彼もまた平然と、これを無視した。わずかに体を開いて、少年を通してやりさえする。
 宇文糺は、この男が邪魔で、追うことも出来ない。
「えい! どけっ! どかんか!!」
 さしもの親衛軍校尉も、味方を蹄にかけることは出来ぬらしい。苛立って怒鳴りつけるが、全員石造と化したかのごとく、動こうとはしない。
「命令だぞ! うぬら、儂の命令がきけんのか!?」
「きけませんな」
 とは、さすがに答えるものはいない。返ってくるのは、白々とした沈黙ばかりである。
「汝らァ……」
 不服従と題を付けられた石像群を前に、于文糺が怒りを爆発させかけたときである、
「右軍黒騎営は、いつから親衛軍の指揮下に入った?」
 氷片をはらんだ北風にも似た声音であった。
 声の方に顔を向けた宇文糺は、なんとも居心地の悪い思いを味わった。
 右軍黒騎営  傭兵で構成された部隊の中でもことにクセの強い連中ばかりが集まった、ならず者部隊の指揮官の、抜き身の刃を思わせる鋭いまなざしが、その先にあったのである。
「親衛軍校尉はお忘れと見えるが、その連中は、指揮官の命令しか聞かん」
「ひとつお間違いですぜ、聶校尉どの」
 ひょろりとした体つきの男が声を上げる。にやにや笑いの張り付いた口許から、やや長めの犬歯が覗いた。
「俺らは、指揮官と認めた・・・・・・・お人の命令しか聞きません」
「口を閉じろ、きょう隊頭」
 刃の一閃のごとき命令に、へ~いと答えて肩をすくめる。こちらも指揮官同様、かなり“いい性格”であるらしい。
「では、躬の命令はどうなのだ?」
 煌星が、言葉をはさんだ。
 聶鋭  蒼牙の声が氷片をはらんだ北風とすれば、こちらは氷そのものでもあろうか。
「躬は、村のものは一人残らず殺せと命じたはずだ」
 白面の貴公子が馬を寄せた。乗馬鞭を顎の下に差し入れ、顔を上げさせる。
「あの子供、故意に逃したと見た」
「俺は、女子供に向ける剣は持たん。無論、俺の部下もな」
 若い支配者の深淵にも似た眸を真っ向から見据えて、蒼牙は云い放った。
 瞬間、闇色の四つの眸が、空中で火花を散らした。
 誰かが息を呑む音が、大きく響いた。
 そのとき   
 公子の肩から再び鵺がかき消え、瞬時に後方から悲鳴が上がった。
 振り返った者たちは、あるものは大きく目をみはり、あるものは痛ましげに顔を背けた。
 黒鳥が鈎爪を少年の血に染めて舞い戻ると、煌星の口許に、再び、うすく冷笑がのぼった。
 兵たちに向かい、引き上げを命じる。
「は。し…しかし、〈へき〉の公主の行方が……」
「いずれ、向こうから姿を現す。遠からずな」
 自信ありげな主君の様子に、「はっ!」と引き下がった宇文糺は、部下に命じ、家々に火を放たせた。鞠躬如きっきゅうじょという言葉を絵にするとああなるんだとは、姜進賢きょう・しんけんが後日同僚に語った言葉である。
 数刻も経ずして、墓地と化した村を、炎の腕が緩やかに抱きとって行く。
 ようやく引き上げの命を受けた兵たちが、なんとはなしにホッとした表情で、煌星と親衛軍に続いて去ってゆく。
 口々に公子と宇文糺を罵りながら、傭兵たちが蒼牙の周りに集まってきた。
校尉が口出ししなけりゃ、あの徳無の野郎を叩き斬ってやれたのによと、不満げなのがこう天槍。南方の人間は気が短いというが、この男もその例に漏れない。
「そうして、国主に首を刎ねられるか? そうなっても、俺は何もしてやらんぞ」
 蒼牙が応じる。
 どうだかという声が、方々から上がった。
「他人の首より、自分の首のことを考えろ!」
 部下を先に行かせておいて、楊駿が近づいてきた。
「何とかならんのか、蒼牙。お前の、その態度は!? こちらはな、主公がいつ、お前の首を刎ねよと云い出されるかと、四六時中ハラハラし通しなんだぞ!! いくら、あの方が  
「飛ぶのは俺の首だ。お前が気にすることじゃない」
 無感動に云い捨てると、部下に騎乗を命ずる。
「…………お前という男は!」
「心配のし甲斐がない、か」
 応えに、微量の苦笑が混じったようであった。
 村はもう、ほとんどが紅蓮舌に舐め尽されていた。
 炎の巻き起こした風が、黒一色の戎装じゅうそうの男の、同色の髪を巻き上げる。
青邱せいきゅう  
「ん?」
「……あまり、俺に構わないほうがいい」
 低く云って、蒼牙は愛馬の鞍に身を移した。
「蒼牙?」
 その声音の重さに、楊駿がはっと馬上を降り仰いだときには、蒼牙は「出発!」と叫んで馬腹を蹴っている。
 最後の家が、音を立てて炎の中に崩れ落ちた。



             
 

 夕空に、黒雲がたなびいている。
 その空へ向けて、白く煙が立ち昇っていた。
 其処此処で、焼け落ちた木材が、まだくすぶっている。その影に、赤子を抱いた女の死体。子供の死体。男女の別も分からぬほどに、焼け爛れた死体もある。
 異臭の漂う焼け跡に、揺玉はただ、呆然と佇ち尽くしていた。
 近くの山に潜んでいたのだが、村のほうから煙が立ち昇るのを目にし、老いた守り役の制止を振り切って、馬を飛ばして来たのだった。
「ご無事でようございました。まだ〈畢〉の兵どもが、このあたりをうろついておりはせぬかと……」
 後を追ってきた守り役の言葉に、
「何が無事なものか」
 答える揺玉の声からは、常の生気が失せている。
「わたしを匿ったために……」
 足下に転がっていた小さなものに気付いて、拾い上げる。木片を繋ぎ合わせた粗末な人形であった。誰か、村の子供のものだったのであろう。奇跡的に焼け残っていたそれには、紅葉のような手形が鮮血で押されていた。
「致し方ありませぬ。姫はもはや唯一の〈壁〉のお血筋。なんとしても生き延びていただかねば」
「云うなッ!」
 守り役の言葉を耳にして、揺玉の眸が、かッと燃え上がった。
無辜むこの民を犠牲にして、何が〈壁〉の血ぞ!」
「ひ……姫……」
 振り返った公主の体から、白銀の焔が燃え上がったかに見えた。
「あの男、璞炫はく・げん。このままにはしておかぬ」
 白い繊手が、砕けよとばかりに人形をを握りしめる。
「血族の恨み、民の恨み。必ずこの手で」
 忠実な老武人は、言葉を失ったまま、姫将軍の激情を瞶めている。
 暮れゆかんとする空の高みを、闇色の翼の鳥がゆるやかに旋回していた。


   その後数日のうちに、璞煌星の手により、次々と三つの村が焼かれた。
 〈壁〉奪回の旗印となる公主を誘い出すためというより、それ自体を楽しむように、その尽くに陣頭指揮を執る公子の姿に、軍の内部では、ひそやかな非難の声と、それ以上の畏怖の声が上がっていた。
 血を好み、人の情を持たぬ冷血の公子  魔人と。
 そして  〈畢〉の陣にささやかな異変がおきたのは、それからさらに五日ほど後のことであった。


 〈畢〉の本陣  国主である璞煌星の天幕を中真に、いくつかの天幕がその周囲を守っている  は、深い眠りの中にあった。時折、歩哨の立てる鎧の音がするだけで、あとは死のように静まり返っている。
 その静寂の闇の中、国主の寝所の間近に、さらに息を潜めている影がいくつかあった。
 闇にまぎれる鈍色の衣服。顔も同じ色の布で覆っている。
「あれだ。一同、ぬかるなよ」
 頭分らしいものが国主の天幕を示す。
 うなずく一同の中に、浮かぬ様子の顔を見つけ、どうしたと訊く。
「気になるのだ。ここまで、こうも易々と来られたことが」
「臆したのか」
 別の一人の嘲るような口調に、
「臆しはせぬ。臆しはせぬが  
 国主の陣にしては、警備が手薄に過ぎる気がしてならない。
「はたしてこれが、罠でないと云い切れるかどうか……」
 それを臆したというのだと、先刻の男。
「何だと!?」
 云われた方は、剣の柄に手をかける。
「止さぬか」
 別の声が制した。
 低く押し殺した声は、若い女のものである。
「仲間割れの場合ではない。いずれにせよ、ここまで来たのじゃ。進むよりない」
「御意」
 最初の男が、軽く頭を下げる。
「罠とあらば、噛みやぶるまで。それ!」
 下知とともに、天幕に向けて二本の矢が放たれる。
 天幕の入り口を守っていたものが、声もなく倒れたときには、物陰に潜んでいた者たちは、影となって夜の中を疾走していた。
 帷を引き破り、寝所へ踊りこむ。
「璞炫、覚悟!」
 幾本もの凶刃が絹のしとねに吸い込まれ、そして、
「しまった!」 
 不覚の声をあげたのは、刺客たちの方であった。
「罠だ!」
 一人が声を上げた、その声が呼び寄せたように、天幕の中に、ゆらりと二つの影が立ち上がった。
 世にも美しく、この上なく不吉な一対の男女の影が。
 その一方  男のほうが声を発した。
 ただ一言。
 大儀  と。
 刺客たちにとって、これ以上に屈辱的な挨拶はなかったであろう。まして、命を狙った当の相手から浴びせられるには。
「思いのほか簡単に罠にかかりまいた」
 古風な物云いで、女が白い顔をほころばせた。
 美貌  と云って良いであろう。公子の傍らに侍るのに相応しいと。
 そしてまた、その身にまといつかせた妖気さえも。
 妖姫  あるいは女妖と呼びならわされる、魔公子唯一が腹心、嬋媛せんえんであった。
「公主、お逃げください!」
 刺客――〈壁〉の武人の一人が叫びざま、公子に斬りかかった。
 その前に、ふわりと嬋媛が立ちふさがる。
 鮮血の虹がかかった。
 そして、人が裂けた。
 美貌の女妖は、一指もふれずに刺客の体を縦に裂いてみせた。
 続いて、首を消し飛ばされた武人が、鈍い音を立てて地に転がった。
 誰かに思い切り突き飛ばされて、揺玉は天幕の外へ転がり出た。
 その頭上を、風が薙いだ。
 無意識に剣で払う。
 低い呻きと、闇に広がる血の匂い。
 〈畢〉の  彼女らを捕えるために伏せられた兵と悟ったのは、後のことである。
 本能に任せて剣を振るうと、味方の安否を顧みるゆとりすらなく、補士の刃を避けて揺玉は走った。
 そうして、ようやく追っ手を振り払ったと思ったとき  
 目の前に、ひとつの影が立った。
 今宵は麗月。その、二十五夜の細い月すら、雲井に隠れ、相手の顔かたちは定かではない。
 ただ、夜闇の中になお黒々と、長身の男の影。
 揺玉は血染めの剣を握りなおすと、じりっ  と間合いをつめる。
 わずかに、男が動いた。
 誘われたように揺玉も  
 次の瞬間、ふたつの影が交錯した。
 そうして、
 斬った。
 そう思ったのは、男の影であった。
 気付いた刹那、剣が揺玉の手からはなれて、高々と宙に飛んだ。
 くっ……と歯を食いしばり、打ち込んだ手を無造作に捉えられる。
 そうして、近々と身を寄せた男は一言、
「無茶な公主だ」
 聞き覚えのある低い声音で。
 恋でもささやくように。
 全身の血が逆流した。
 頬が、全身が熱を帯びるのを、揺玉は屈辱のせいだと思おうとした。
「…………」
 再び、男が何事かをささやいた。
 捕えていた手首を離す。
 はじかれたように飛び退ると、風に舞う花のように身をひるがえし、女将軍は一颯の風となって男の傍らを走りぬけた。
 ようやく雲間から姿をあらわした月が、男の、頬に浅く刀痕を刻んだ左の横顔を照らし出したときには、公主の姿は彼方に去っている。
 そして  
「〈壁〉の夜叉公主……でしたか」
 夜の中からもうひとつ、影があらわれた
 痩せた  すらりと云うよりは、ひょろりと表現した方が相応しい痩身の  その風貌と影に似た身のこなしから、こちらは灰狼の異名を持つ右軍黒騎営の副官、姜進賢である。
「この間の戦場で見かけた」
「…………」
 若い傭兵部隊の指揮官は無言。
 つ、とかがむと、足元に落ちていたものを拾い上げる。
 小さな、黒ずんだ手形の押された、粗末な木彫りの人形。公主が持っていたものであろうか。
「無茶な真似をしたもんだ。国主の暗殺なんぞ、万一  いや、十万にひとつ成功した所で、自分だって生きて戻れるわけァない」
「………………」
「何故なんです?」
 警備の手薄な場所を教えて公主を逃した、そのことに対する進賢の問いに、蒼牙は口許にあるかなきかの笑みを刷く。
 重ねての問いに、
「月光樹の花一輪、蕾のままで散らせるのは惜しい。そう思ったまでだ」
 そう云った。
 月下で白銀の炎を発するように咲く大輪の花。それに公主を喩えたのである。
「天狼  じゃねぇ、校尉殿。まさか、あんた、あの姫さんに  
「惚れた、かも知れん」
「……………………………………」
 打てば響く。そう反応するはずの進賢の反応が  なかった。
 なんと、十倍の敵を目の前にしても、眉一筋動かさなかった剛毅な男が、硬直している。
 その姿に、低く笑声を投げかけると、蒼牙は自分の幕営に向かって歩き出している。
 夜はまだ深い。



                                           つづく
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