『浣花洗剣録』二次小説  恋唄

  二月に龍が首もたげ 三姐は髪結って彩楼やぐらに上がる 
  王孫公子が居並ぶ前で 平貴ピンコイに当たった赤い鞠


 川の畔、洗濯をする珠児の喉から、歌が流れ出る。
 棒を使う手が、拍子に合わせて自然に軽快なものなる。
 空は抜けるような青空。陽射しは、動いていると少し汗ばむが、強からず弱からず。こんな気持ちのいい日には、自然に歌も飛び出そうというものだ。
 歌詞も節もうろ覚えだが、誰に聞かせるわけでもないからかまわない。仮に少々調子が外れていようが、高い所で声が裏返ろうが――
 と、次の洗濯物を取り上げ、何気に顔を上げた拍子、目元にだけ微かに笑みを浮かべてこちらを見ていた青年とまともに視線が合って、思わず赤面した。
 呼延大臧こえん・たいぞうという、この少し変わった名前の蓬莱人の青年が清風庵に寄宿するようになってから――当人が意識不明だった三日間を除いて、既に五日あまり。
 いつの間にか自然に尼寺の雑用――主に力仕事に類することを手伝うようになっていて、庵主の恵覚師太は非常に喜んでいる。
 そうして珠児は――
 珠児自身も、驚くほど自然に、この青年の存在を受け入れていた。
 尤も、大臧の語る彼女の過去――二人は相思相愛の間柄だったそうなのだが――には、どうにも実感が持てずにいるのだが。
「今の歌は?」
 珠児の隣に並びながら大臧が訊く。
「知らない。町でよく聴くから、何となく覚えちゃった。ねえ、蓬莱にも歌はあるのよね」
「ああ」
「どんな歌?」
「どんな?」
「ねえ、何か歌ってくれる?」
「…………」
 珠児の顔を眺めて、青年はしばらく沈黙していた。どうやら当惑のあまり固まっていたらしい――と気づいたのは後のこと。しばしの後、左見右見とみこうみしてから、
「聴いてもわからないだろう?」
 ぼそりと言った。
「そんなの、あなたが説明してくれればいいじゃない。ねえ、どんなの?」
 また、いくばくかの沈黙の後、歌えないという返事が返ってきた。
「歌ったことがない。あまり、よく知らないんだ」
「うそ。誰だって歌の一つや二つ。子供の頃に歌った歌とか、お母さんの子守唄とか」
「母は――両親はいない。師父が親代わりで」
「その師父は子守唄――ない?」
 ないわよねと珠児は自答する。大臧の師父というと、つい、大臧に似た雰囲気の寡黙な壮年の男性を想像してしまう。そんな人が子守唄。かなり、いや、ものすごく想像しにくい。
「ない。漢語の講義が子守唄代わり」
「うそ」
「と言うのは冗談だけど、中原の話はよくしてもらったな。ごく小さい頃は、師父の膝の上で聞きながら眠ったから、それが子守唄代わり。――ああ」
 何かを思い出したらしく、ちらっと笑った。
「子供の頃、聞き覚えた歌を歌っていて、師父に叱られた」
「何よ、それ。歌なんか歌うなって?」
「そうじゃなくて、子供の歌う歌じゃない、と」
「ええ~? どんなの?」 
 意味だけでいいだろ? 大臧の言葉に、不承不承珠児は頷く。意味は後になってからわかったんだがと、前置きして大臧は話し始めた。
「恋しい男が来ないので、枕に八つ当たりしている女がいる。だけど、枕を放り投げちゃいけない。枕に罪はないのだからと、そういう歌なんだが」
「それのどこが、子供が歌っちゃいけない歌なの?」
「わからないか?」
「うん」
「女が枕を抱えているといったら、大抵寝床だろ?」
「そうよね。そうすると、その女の人は、寝床で男の人を待っていて――って、えーーっ!?」
 そっ、そういう意味なんだ。
 意味がわかった途端、顔だけでなく、全身がかっと熱くなった気がした。
 やだ。そうなんだ。そうか。そうよね。それは、子供は歌っちゃいけない歌だわ。言いながら珠児は、手にしていた洗濯用の棒をいじりまわす。
 そういえば――気を取り直し、再び洗濯に取り掛かってから口にした。
「師太に言われて、ずっとあなたのお世話をしてたでしょ。あなたの眼が覚める前の夜、体を拭いてあげてて、そのまま一緒に眠っちゃったのよね。目が覚めてびっくりして、慌てて部屋へ戻ったけど、あなたのほうが先に目が覚めてたら、やっぱり驚いたわよね?」
「俺は――確かに君の顔を見たはずなのに、目覚めたら君がいなくて、かえって当惑した。それに、一緒に寝ていたのは、初めてじゃない」
 さらり。ごく当たり前のことを言う口調で言われて、今度は珠児のほうが固まる。
「寝ていたって――」
「眠っていただけだ。何もない」
 いや。それでもやっぱり……
「俺も君も傷を負っていて、君のお祖母様に助けられた。馬車で白水宮へつれて行かれる途中で、二人とも気を失うか、眠ってしまったんだと思う。気がついたら、ひとつ床の中で寝ていて――」
「わぁ……」
「君は、ここはどこで、どうして同じ床に寝ているかと聞いたが、俺は答えられなかった。…………狼狽して、ふと頭に浮かんだ師父の言葉を『剣以外は皆邪魔だ』と。君は、私も邪魔かと訊いた」
「それで、あなたはなんと答えたの?」
「君以外は」
「わ……わぁ」
 他人の、秘めた恋の話を聞いてしまった気恥ずかしさに、珠児は思わず両手で頬を包む。かなり熱い。きっと真っ赤になっているのだろう。
 ちらりと大臧のほうを伺うと、こちらは、過去の話を聞かせても珠児が反応を示さないときの、いつもの少し寂しげな、それでも愛おしげなまなざしを見せている。
 この眼で見られるたびに、胸が痛くなるのは何故だろう。珠児は思う。
 この人に、こんなに思われる珠児というのは、幸せな娘だ。でも、それが自分のことだとは、どうしても思えなくて――
「そうじゃなくて、歌よ、歌。ねえ、どんなのでもいいから!」
 ぐるりと一周して戻ってきてしまった話に、大臧は苦笑と嘆息をほぼ同時にしてのける。
 少し、真剣に考える目つきになると、
「笑うなよ」
 言って座りなおした。
 すっ――と、背筋が伸びる。

   ただ人はなさけあれ
   夢の夢の夢の

 歌えないと、いかにも苦手そうなことを言っていた割には、張りのある、よく通る声であった。
 歌は、言葉というよりは音の一つひとつをゆっくりと伸ばして変化させるような――と思う間もなく、
「もう終わり?」
「終わりだ」
「短いのね」
「短い」
 ふぅんと、珠児は首をかしげる。
「どういう意味なの?」
「恋の歌……なんだと思う。そうだな。この世は夢のように儚いから、せめてなさけを――恋をしていよう。その日々も、あっという間に過去になってゆく」

   昨日は今日のいにしえ
   今日は明日の昔

 後の二句を中原の言葉に直した後、大臧はもう一度繰り返す。
「昨日は今日の過去で、今日は明日の昔かぁ。不思議――というか、奇妙な気分にさせられるわね。なんていうのかしら、こう――」
「心もとない?」
「そう。そんな感じよね。なんだか、頼りなくて寂しい気分にさせられる」
「ああ。はかなくて寂しい。だから印象に残っていた。まさか――」
「え?」
「いや。なんでもない」
 言って大臧は立ち上がる。
 なんとはなしに聞き覚えた恋歌の心が、わかるようになるとは思ってもみなかった。大臧の抱いた想いが、無論今の珠児にわかるはずがない。
 が、見上げた横顔に浮かんだ、なんともいいがたい寂寥せきりょうの色に、切なげな眸に、奇妙な甘酸っぱさと同時に、きゅっと絞られるような胸の痛みを覚えた。
 同時に、
 ――何、今の感じ?
 初めてじゃない。その思いに当惑する。
 前にもこんなことがあった。こんな風に大臧の横顔を見ていて――
「どうした、珠児!? 大丈夫か?」
 自分を気遣う大臧の声に、大丈夫と手を振ってみせる。
 ――しっかりするのよ、珠児。この人が好きなのは、あんたじゃなくて昔の珠児なんだから。
 思ってしまってから、そんな自分にさらに困惑した。
 ――わたし、大臧が好き?
 そう思っているのは、今の自分か、昔の自分か。
「珠児? どうした? 気分が悪いのなら休め」
 屈みこみ肩に手をかけ、顔を覗き込むようにする。もし本当に気分が悪いといったら、このまま抱き上げて寺へ走ってゆくだろう。そんな大臧の様子に、本当に大丈夫と珠児は笑ってみせる。
「なんでもないの。それより、もうすぐ終わるから――」
 先に戻っていて。そう言うつもりだった。
 瞬間、不意にこの青年の後姿が脳裏に浮かび、
「ちょっと待っていて。一緒に戻りましょう」
 気がついたら、そう口にしていた。
 ――わたし……。
 この人の後姿は見たくない。置いてゆかれる気がするから。思ったのは今のわたし? それとも、昔の珠児?
 浮かんだ想いにさらに当惑し、つい、ばんばんと、洗濯物を打つ棒に力を込める。
 ふと大臧のほうを伺うと、今度は頬杖をついて、面白いものを見る目つきで珠児を眺めていて、
「何よ?」
 言ったら、百面相と、するっと答えが返ってきた。どうやら、気持ちに合わせて表情も動いていたらしい。
「あのね」
 抗議をしようと思って――やめた。あんな切なげな眼で見られるよりは、面白がられていたほうがいいかもしれない。
 そのかわり、
「ねえ、さっきの歌。もう一度歌ってよ」
「寂しそうで、嫌いなんじゃなかったのか?」
「嫌いだとは言ってないわ」
「…………」
 何やら考える様子があって、少し視線が動く。
 誤魔化さないでよと言ったら、苦笑が返ってきた。
「ねえ」
「わかった」
 ちょっと構える気配があって、また、さっきの歌が耳に届く。
 蓬莱の曲は耳に馴染まないけれど、大臧の歌う声は好きだな。そう思った。



  ただ人は情あれ
    夢の夢の夢の
  昨日は今日の古
      今日は明日の昔

               『閑吟集かんぎんしゅう』より














『閑吟集』というのは室町の頃の流行り歌を集めた歌謡集だそうで、江戸時代の歌の資料なんてないかしら~と思っていて見つけたもの。で、作中で使ったのは、その中でも好きな歌詞のひとつ。
この前にUPした『我愛你』で、夢幻泡影とか書いてるときに不意に思い出したので、小道具として使ってみました。
作品としてはうちょっと熟成させたい気分もあるんですが、とりあえずUP。
ちなみに、小さいときの大臧くんが歌っていて師匠に叱られたというのは、こちらは隆達節というのかな、シバレン先生の戦国ものなどに出てくるもので

 君が来ぬとて 枕な投げそ
  投げそ枕に とがもなや

というもの。
後、冒頭で珠児が歌っていたのは『中国芝居の人間模様』の中に引用されていました、地方の民謡の一部だそうです。


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コメント

う~ん、なるほど~!
「後姿は見たくない」
大臧の後姿が鍵とは・・・
お見事です。
別れ際の後姿って寂しげだし、それが愛しい人と今生の別れかも…なんてことだと、より一層強い感情が生まれますものね。
意表をつかれましたが、珠児の感情がよく伝わってきて、記憶を取り戻すとしたら、これ以外にないと思えます。

ふく*たま さんへ

ありがとうございます。

敢えて奇をてらったつもりはないんですが、大臧と珠児との恋で、珠児に取って心情的に印象的だったシーンはどこかな、と辿ってゆきましたら……
「置いてゆかないでよ」と大臧を追いかけたり叫んだり、無事に帰ってきてと、果し合いいに出てゆく姿を見送ったり。とにかく後姿を見送っては、切ない思いをしていることが多かったような。
ということで、こういう話と相成りました。
本当は、心安らぐ光景の中で、前にもこんなことが……というのが良かったんですが、思い浮かばない――というか、ないですよね、この2人に関しては。
つくづく、清風庵に辿り着くまで、辛いというか、きつい恋愛をしてきた2人だなあと、再確認をいたしました。
それでも、お互いに向かう心は止めようがないんですね。
(吊り橋効果のせいじゃないことを祈ります(^_^;)

この後の二次小説については、公孫師匠について私が盛大な勘違いをしていなければ、最終回の直後に、もう1本のUPを予定。
後はボキャの神様次第というコトになります。
なるべくなら、早めに光臨してくださればいいんですが(笑)

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