『浣花洗剣録』二次小説   変わらぬもの  

不可能莫迦な 我不会相信信じられない
 ただ二言に一切を――母だという人のすがるような眸をも切り捨てて、大臧は部屋を後にする。
 自室として使っている一間に戻ると、
「大臧?」
 どうしたの何があったのと問いかける珠児に、煩わしげに頭を振って卓の前に座る。そこでようやく、常にない強さで刀の鞘を握り締めていたことに気付いた。
 備前長光おさみつ、三尺二寸。師父の遺愛の大太刀。
 鞘を払い、しばし刀身を眺めたあと、荒砥あらとを取り出し、丹念に寝た刃を合わせ始める。刀身をざらざらにして刃味を増す、いわば戦闘準備であるが ―― 手馴れた作業を続けているうち、次第に波立っていた心が鎮まってきて、そうして大臧は、自分が意外なほどに動揺していたことを知った。
 信じられない――いや、信じたくないと云うべきか。
 湧き上がってきた想念を押しやって、目先の作業に集中する。
 中原の地に渡ってから、幾たびとなく繰り返してきた行為。
 そうして、蓬莱ほうらいの地で、師父がこうして寝た刃を合わせるのを、何度となく見てきた。
 いや。自分の手を取って、この行為を教えたのも、師父の公孫梁こうそん・りょうその人であった。
 剣も、立ち居振る舞いも――今こうして、自分が人として在るための一切のことも――
 その師父が――父とも慕った恩師が、聖母の言葉をそのまま信じれば、自分の実父の仇だという。
 だとすれば、
『師父は――』
 研ぎあげた刀身に視線を落とすうち、無意識に言葉が滑り出ていた。
 え? と、珠児が問い返したような気がする。
『師父は、俺の父を斬ったことを、悔いたことがあっただろうか』
「大臧?」
 蓬莱の――母国と信じていた地の言葉で口にしたそれ。
 どうかしたのと腰を浮かせた珠児にとも、自分にともなく頭を振ると、もう一度長光の刀身を眺め、ぱちりと音をさせて鞘に納める。
 口に出してみて、聖母の言ったことを、無意識のうちに事実と認めていた自分に改めて気付く。おそらくは、それゆえの動揺。
 だが、だとしたら――
 師父、公孫梁が彼を育てたのは、父を手に掛けた、その償いのためだったのだろうか。
 ――いや。
 母国の――蓬莱の言葉と同じく、自在に操れるように中原の言葉を教え、かの国のさまざまのことを話し、学ばせた。そして、大臧が十六になった真冬のある日、この背に鷹の刺青をした。そのいずれもが大臧を中原に――聖母の言葉を信じるならば、父祖の地へ帰すためだったとしても――
 自分を育てた師父の中に、罪の意識はなかった。そう、大臧は思う。
 友とした相手と敬意を持って刃を交え、命を奪い、義と約定のみをもってその遺児を養育する。そうした行為を、全く矛盾を感じずに行うことが出来るのが、蓬莱の武士であり剣客という人種であった。
 そうして、自分はその蓬莱の剣客として育てられた。
 その事実も、師父への想いもまた、わずかながらの揺るぎもない。
 が、ただ――
 珠児――と、寝台に腰を下ろしたまま、先刻から気がかりそうな視線を向けている娘に、大臧は声をかける。
 今はこの世でただ一人、心を寄り添わせる最愛の女性。彼女にだけは隠し事は出来ないし、また、すまいと思う。
「君は、俺が蓬莱人じゃないほうがいいか?」
 訊いた。
「え?」
「俺が中原の人間だったら、そのほうがいいか?」
「なに? 何なの、急に? 何かあったの? ねえ、大臧? ねえってば!」
 清風庵のときの珠児に戻ったような口調に、大臧は微かに笑みを浮かべる。沈み込んだり涙に暮れているよりは、この方がずっといい。
「ねえ、大臧ってば。本当に、どうしたのよ?」
「聖母が俺の母親。そう聞かされた。聖母の実の名は白艶燭はく・えんそく。俺はその白艶燭と霍飛騰かく・ひとうとの息子。方宝玉は弟」
「ちょ……、ちょっと待ってよ。どういうこと?」
「…………」
「ねえ。落ち着いて、もう一度説明してくれる? 紫衣侯と白水聖母から話があったのよね。それで、聖母があなたのお母さん――って、ええーっ!?」
 どういうことなのよ、一体。額に手をやって顔をしかめる珠児に、やっぱり混乱するかと、大臧は視線だけで笑いかける。
「そりゃ、そうでしょ――って、大臧、あなた、混乱してたの!?」
 あなたでも――との珠児の言葉に、大臧はもう一度、今度ははっきりとわかる苦笑を頬に刻んだ。
 極端な無口に無表情――という自覚は大臧自身にはないが、混乱や弱気や、人としてごく当たり前の反応を見せると、なぜか近しいものにひどく驚かれるということに、大臧はようやく気付いていた。
 ――俺は、どういう人間だと思われているんだか。
 いつかの木郎といい――ふと思い出し、ずきりと痛んだ胸に、慌てて思考を他へ向ける。
 偽りから始まった友情。それでも、語り合い供に戦った日々、交わした想いの心に与えたぬくもりだけは真実、と思えば余計に胸が痛む。
 云うべき言葉を捜すときの、これも自覚のない癖で、一度、斜め横あたりに顔を向けてから、珠児の顔に視線を戻した。ゆっくりと、先刻、白水聖母から告げられた事実を繰り返す。
 それで――と、話を聞きながら、次第に考え深そうなまなざしになった珠児は、ほぅと溜め息を吐くと、小さく呟いた。
「あんなことを訊いたのね」
「ああ」
「でも、それだったら――」
 いいかけて珠児は口をつぐむ。目の前の、愛する男性の顔に、じっと視線を注いだ。
 蓬莱人であるという、それだけのことで、敵視され、多くの誤解を受けてきた青年だ。
 青萍せいへい剣客・白三空の外孫。関外飛鷹ひよう・霍飛騰の息子。中原の――武林の名門の子息。名を知られた侠客の子。それだけで、その生きる道は、随分と楽なものになるだろう。
 けれど――。
 そうした理由で楽な道を選ぶことを、この青年が望まないことも、珠児は知っている。
 孤剣と、師父の遺命だけを携えて異郷に渡り、誤解も非難も、恨みさえその身に引き受けて、抱いただろう苦しみも辛さも面には出さず、一人戦い続けてきた青年だ。
 義のために、唯一心を許した友とすら、今は袂をわかって。
 生き方は決して器用なほうではない。その心根と同じく真っ直ぐで、一途で――。
 ――そうして、誰よりも優しい。
 珠児が愛したのは――愛しているのはそんな青年の――そんな男の魂だ。
「わたしは――」
「うん?」
「わたしは、大臧、あなたが蓬莱人だとか、中原人だとか、そんな理由で好きになったのじゃない」
「………………」
「わたしはあなたが――ただ、目の前にいるありのままのあなたが好きなの。どこの国の人間かなんて、そんなことは最初から、どうでもよかった」
「……………………」
只要能和你在一起ただ、あなたと一緒にいられれば 我不介意それだけでいい
 かつて、死を決意した珠児に、大臧が告げた言葉。
 覚えていたのだろうか。端正な顔が、わずかに笑んだように見えた。
 珠児に向かって手を差し伸べる。
 その手を取ると、引き寄せられ、抱きしめられた。壊れ物に触れる優しさで、大臧の手が珠児の背に、肩に、髪にふれる。
 やさしい手をしている。珠児は思う。
 剣を――人を殺傷するための武器をる手。いつかの宝玉の言葉を借りれば、この手は多くの人の血に染まっているのに、彼女にふれる大臧の手は、限りなく優しい。
 この手に慰められ、支えられてきた。
 おそらくは、この先もずっと。
 ――そうして、わたしは……。
 この人の――大臧の支えに、慰めに、なれているだろうか?
「俺が蓬莱人のままでも、かまわないか?」
「やっぱり、簡単には受け入れられない?」
「いや」
 短く答えて、大臧は言葉を捜すように虚空に視線を向ける。俺の命は――いくばくかの沈黙ののちに、そう云った。
「俺の命、俺の体は、確かに実の両親がくれたものなんだろう。だが、俺の精神こころのありよう、魂のかたち、そういったものは、亡くなった師父が、蓬莱の地が、そういうものが、今のかたちに作り上げた。俺は蓬莱人だ。それ以外のものには、なれない」
「そう……」
「ああ」
「そう」
 もう一度答え、珠児はわずかに姿勢を変えて、大臧の眸を見詰める。
「蓬莱人の魂を持った中原人。そういうことじゃいけないかしら?」
 わざと、悪戯いたずらっぽく云ってみた。
「どこの国の人間でもかまわない。そう云ったのに?」
 大臧の口調に軽い非難の響きを感じ取って、珠児は小さく笑う。
 つられたように口元に笑みを刻み、そうして、
「こだわることじゃないのかもな」
 大臧は云った。
「受け入れたところで、俺自身が、どう変わる訳じゃない」
「そうなの?」
「ああ」
 何一つ――珠児を抱いた、その手を眺めて、大臧は胸のうちで呟く。
 師父への想いも、この娘への愛も。そうして――。
 この時を、今置かれた窮地きゅうちを生きて切り抜けることが出来たら、師父の遺命を果たし、愛する女性とともに、この中原の地で生きてゆく。その決意も。
「何一つ、変わらない」
「そうかしら?」
「うん?」
「あなたは変わらなくても、他はずいぶん変わるわよ。周囲の目も、だろうけど、なんせ、白水聖母があなたのお母さんで、方玉が、あなたの弟」
 珠児の、最後の一言に、大臧はわずかに顔をしかめる。
「えー? 何よ。いやなの?」
「少し厭だ」
「えーっ? どうしてよ? 友達になれるって云ったじゃない」
 意外とも不満とも――そんな珠児の声を、また苦笑で受け止めて、
 ――あちらは、もっと厭だろうな。
 白水聖母に実母と名乗られただけで、あれだけの拒絶反応を示した若者だ。まして、自分が兄などと知ったら――。
 思った途端、大臧の口から、小さく笑声が洩れていた。 

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テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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rei★azumi

Author:rei★azumi
ヒト属ネコ科 コタツ猫亜種 読書ネコ
『神鵰侠侶』で金庸にハマった、金庸初心者。
とりあえず、金庸の小説全作品読破を目指すも、突如神鵰侠侶二次小説にハマる。
さて、この先、どうなりますことやら。

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