闇の塔  拾

    第四章   暁 闇    承前




「行くか、やはり」
 楊駿よう・しゅんが云ったのは、婦人の亡骸なきがらを葬った後のことであった。
 うす紫の風の中に立つ二人を、少し離れた場所から少年が眺めている。
 絳花こうかは、敬愛する婦人の墓前で、一夜を明かすつもりらしい。
 気を利かせたつもりなのだろう、姜進賢きょう・しんけんたちの姿も、そのあたりにはない。
 黄昏たそがれの色だけが、美しい住人を失った、古い宮に垂れ込めていた。
「無謀は承知の上だ」
 感情を交えぬ、静かな口調で蒼牙が答える。
「いけません!」
 翎児れいじが叫んで走りよってきた。
「いけません。行けば殺されます。それに――」
 行かせまいとするように腕にすがった少年の手が、小刻みに慄えている。
「あの男――国主は、もう、人ではありません。見たんです。あの男の目は――あの、目の中には――」
 《闇》があった。もし、少年が塔に棲むものに接していたら、そう云ったことだろう。璞煌星はく・こうせいの眸の中に見たものの記憶が、少年の濃紫の目に、恐怖の色を浮かばせていた。
「翎児……」
 ふ――と、優しい笑みを浮かべると、蒼牙は腕の上に置かれた少年の手に、自分の手を重ねる。
「俺に逃げろというのか? 公主を見捨てて」
 微かに、からかうような響きがあった。
「無理な相談だ。逃げれば、俺は俺じゃなくなる」
 笑みと同じ優しい仕草で、少年の手を外す。柔らかく笑んだ顔の中で、闇色の眸が真摯しんしな光を放っていた。
「楊公子――」
 何とか思いとどまらせてくれと、視線を向けた少年に、楊駿はかぶりを振ってみせる。
「とめた所で、聞くような男じゃないものな」
「悪いな」
「何を今更」
 が――と、懸念に、眉間の辺りを曇らせた。
「お前、右腕――」
 ふっ――と、笑みと双眸の光を鋭いものにすると、蒼牙は左手で腰間の剣を抜いてみせる。
 二度、三度と手首が翻り、舞踏に似た動きに従い、白銀の刃が鋭くも鮮やかな軌跡を描く。
 そうして――
 びゅっ――と、刃鳴りとともに傍らの繁みに向けられた一閃。
 一枚の葉すら散らせることなく返された刃には、静かに、一朶いちだのうす色の花が乗っていた。
 ぱち、ぱち、ぱち。どこかおざなりな拍手とともに、灰色の影が歩み寄ってくる。
「これで本調子じゃないってんですからね、この人は」
 そうなのか? そうですよ。友とかつての副官の遣り取りに、浮かべた笑みを苦笑に変えながら、蒼牙は剣を鞘に納めた。
「話はまとまったようですな」
「ああ」
「俺らも、お供させていただきますぜ」
「進賢、お前――」
「味方は多いほうがいいでしょう。俺らのほうにも、ちょいとばかり乗って欲しい作戦がありましてね」
 ニヤニヤニヤ。不謹慎なまでに楽しげな笑いを張り付かせた、かつての副官の顔を見ながら、蒼牙のほうは珍しく、言葉と感情の選択に戸惑っているようだった。
「俺が何者か、承知で云っているんだろうな?」
「傭兵の『天狼』という意味なら、命を預けるにゃ十分以上の相手だ。国主の弟――という意味なら、あんたの責任じゃなし。それこそ、あんたの気にすることじゃない。それより何より――」
 胸倉を掴まんばかり、近々と顔を寄せると、
「気付いてたかどうだかは知りませんがね、俺が戦のたびにあんたの背中を守ってきたのは、あんたが指揮官だからとか、役目だからとか、そんなんじゃあないんですよ」
 頬の削げた顔からは、拭ったように常のニヤニヤ笑いが消えている。薄茶色の眸にも、常には決して見ることの出来ぬ、真摯な光が浮かんでいた。
「あんたが誰だろうと、そんなことは構いやしない。俺は俺なりに、気に入ってるんです。あんたのことを。だから――」
 断ったりしたら、一生恨みますよ。
 おそらくは、そう云いたかったのだろう。
 云いかけて、柄にもない台詞にそっぽを向いた副官に、蒼牙はごく淡い苦笑を向けた。
「度し難い莫迦ばかだな、お前も」
 莫迦――と、こうまで優しく云えるものか。そう思わせる口調だった。
「お互い様だな。お前の部下なんだから」
「そういうことです」
 楊駿と進賢が、互いに目を見交わす。
 二人ともが既に、戦士の顔つきになっている。
 口には出さぬが、ついてくるつもりなのだろう。この友も。
 蒼牙は思う。
 宿命ではなく、予言の成就でもない。煎じ詰めれば、おのれの意地のための戦に。
「…………」
 翎児は重く溜め息を洩らすと、袖の中を探る。取り出したものを蒼牙に差し出した。
「せめてこれを。娘子が、あなたをお守りくださいますように」
 銀の紐が断ち切られた垂飾。婦人の――母の首に掛けられていたものである。
 半透明の玉に彫り込まれた守護の古代文字。視線を落とした蒼牙の表情が、わずかに翳る。
 わが子が生きて、無事であることだけが母の望み。そう――婦人は云ったという。
 それは、もう一人の子――〈畢〉の玉座にある璞煌星に向けられた想いでもあるのだろう。
 それでも――
 ――どうやら運命は、あなたの避けたかった方向に流れ出しているようです。……母上。
 呟くと眸を上げる。
 残照は血の色をしていた。



 思い軋みを響かせて、獄舎の扉が開いた。
 重ねた藁の上に身を起こした揺玉は、一人の従者も連れずに入ってきた人物に、怒りと憎悪の入り混じった視線を投げつけた。
 それを受け止める黒い眸は、古沼のような得体の知れぬ何者かを湛え、静まり返っている。
 ちらり。その黒瞳を石床の上に向けると、
「なぜ着替えぬ?」
 平板な口調で、煌星は訊いた。
 視線の先には銀糸を織り込んだ碧色の絹の一そろい。金銀に玉のかんざしも添えられている。
 ふん――とさげすみの表情でそっぽを向く揺玉に、
「冥府への道行き。着飾って行くも良かろうと用意させたが」
 土埃に汚れた着衣と顔、乱れ、ほつれた髪を眺め下ろして、煌星は云う。
「恋しい男に、その姿で逢うてもよいと云うのであれば、躬は別にかまわぬ」
「なに?」
「間もなく、あれが来る」
 揺玉の反応に、口許だけに薄笑みを見せた。
「火に誘われて、自らの羽根を焦がす蛾のように、死地に向かってな」
 松明の火が揺らめいて、その白皙に複雑な陰影を投げかけている。
 莫迦な――と、その白皙に揺玉は蔑みの表情を向けた。
「蒼牙が――彼が、みすみす死地に陥ることを承知で、来るものか!」
「ところが来るのだな。この館に、そなたという誘蛾灯がある限り。尤も、あれを焼くのは炎ではなく《闇》だが」
「卑怯」
「卑怯、か」
 煌星は、浮かべた笑みを、むしろ優しいといえるものに変えた。
「あれを抹殺するためなら、どのようなことでもしようよ」
 対照的――白面に穿うがたれた双の暗黒の深淵に、くらい焔が燃え上がる。
「もし《闇》があれの体を流れるはく家の血――聖王の末裔すえ、上古の民の血を、命の焔を欲さぬのであれば、この手で八つ裂きにし、両眼をえぐり出してもやれるものを。母にそっくりの、そのくせ、ひどく冷たいあの闇色の眸を――」
 双眼から吹き上がった焔が全身を包み、冥い陽炎となって燃え上がったように見える。
 なにかひどく異質な、奇妙な生き物に向ける目で、揺玉は眼前に立つ男を見た。
 見も知らぬ、おそらくは自分より健やかであろう双生の弟への妬心があった。そう、あの婦人は云った。が、それにしても、どうしてこの男はこれほどに、自分の肉親を憎むことが出来るのだろうか。光だけを見て育ったに等しい揺玉には、到底理解できぬことであった。
「二公子であればどうだったろう。重臣たちは常に囁き、影から躬を眺めては眉をひそめた。もし残されたのが弟君であったら、こうではなかったろうと。
 そんなことで国主の重責が果たせるか。父上には常に叱責された。
 母上は――母上は優しかったが、常に心のどこかで、喪った子の面影を追っておられた。躬の上に重ねて――」
 彼女には理解できぬ想いに浸りこんだらしい煌星の様子を横目に見ながら、揺玉はそっと腰を浮かせる。
 扉は開いたまま。国主の腰には宝石で飾られた短剣。今なら。あれを奪えば――。
っ!」
 短剣に手をかけようとした刹那、揺玉の手は逆にねじり上げられていた。
 細い、剣も握れぬ女のようなと侮った華奢な手が、意外に強い力で彼女の手首を締め上げ、容易に振りほどかせようとはせぬ。
「逃がしはせぬ。尤も、逃げた所で手遅れだが」
 扉の外。ひざまずいた兵士が、侵入者の発見を告げた。
 はっと、揺玉が息を呑む。
「まいろうか。そなたの思う男の死に様を見にな」
 青ざめた女将軍の顔を見やって、煌星は愉快そうな笑い声を立てた。
「そのような顔をせずともよい。すぐにそなたも、後を追わせてやる。同じ場所でな」
 松明の灯が、一段と激しく揺れる。
 作り出される光が、影が、美貌の貴公子の横顔を、その心根に相応しい魔性のものと見せている。
 血が出るほどに唇を噛み締めながら、揺玉は、その横顔に視線を注いでいた。



 墨を流したように暗い空。
 針のような新月が、心細げにかかっている夜空の下に、断末魔の絶叫が夜気を裂き、夜闇にも赤く血がしぶく。
 ひとり、またひとりと、剣の一閃ごとに敵を屠りながら、蒼牙はじりじりと冥塔へと距離をつめてゆく。
 夜半、真正面から館に乗り込んだ蒼牙を迎えたのは、内門から冥塔までをずらりと居並んだ武装の親衛軍と、自身で血路をひらいて来いという璞煌星からの言辞であった。
 無事に塔まで辿り着ければよし、もし途中で――云いかけた親衛軍の副官の首を、蒼牙は口上半ばで斬り飛ばしている。
 辿り着けねば死ぬまでのこと。それ以上の余計な口舌は不要であった。
 が、さすがに息が荒い。
 激しい動きに、漸く癒えたはずの右肩の傷が疼く。
 最初の凄まじい行動に、親衛軍の腰が引けていなければ、さしもの彼も討ち取られていたかもしれない。
 また一人、胸板を貫かれた兵が、呻き声を上げて倒れた。
 そのとき――
「それまでだ」
 涼やかな声が、夜風に乗って届いた。
 暗い夜の中に、禍々しい姿を見せてそそり立つ闇の塔。
 それを背景に立つ、白面の貴公子。傍らには常のごとく、仮面をつけた嬋媛せんえんが影のように寄り添っている。
 その足下に引き据えた娘に、親衛軍の指揮官が刀を擬す
「剣を捨ててもらおう。さもなくば――」
「さもなくば、公主の命はない。知っているか? そういうのを、悪党の決まり文句というんだ」
 芸のない。片頬に冷笑を刻むと、蒼牙は辛辣な口調で応じた。
「大人しく剣を捨てたところで、二人とも、生かして帰すつもりはないんだろう」
「と云うて、女子の首の落ちるのを、平然と見ておれるそなたではあるまい?」
 国主の揶揄に、笑みを自嘲的なものにすると、蒼牙は血染めの剣を鞘に納め、無造作に放り出した。
「蒼牙!」
 何かを叫びかけた揺玉に視線を向ける。意外なほどに静かなまなざしであった。
 はっとしたようにそれを受け止めると、夜叉公主はわずかに唇を噛み、表情を毅然きぜんとしたものに変える。
 親衛軍の一人が剣を取り上げ、嬋媛に手渡そうとした。
「これが神剣……」
 女妖の、仮面の下から覗く朱唇の両端が吊りあがり、淫蕩いんとうな笑みをかたちづくる。
「これが……」
 手に取ろうとした嬋媛は、次の瞬間、呀っと小さく悲鳴を上げていた。
うっ!」
 鞘を白い稲妻に似た光が包み、女妖の手を痺れさせたのである。
 傍らから煌星が手を差し伸べた。
 紅唇が何かを呟き、白蝋の繊手にわずかに力がこもった。
 瞬間、剣は微塵に砕け、細微は金属の欠片と化し、女の足下に散っていた。
「こんなものが神剣とは。脆いものだ」
 そなたが案じたほどのものでもない。無感動に云うと、煌星は武器を失った戦士に視線を戻す。
「なんぞ、云い残すことはあるか?」
「そうだな」
 凍てついた冬星の光を宿した双眸が、国主の――双生の兄のそれを瞶めかえす。
 袖から玉石の垂飾を取り出すと、煌星の前にかざした。
「見覚えがあるようだな」
「それ――は」
「璞煌星。いや、えて兄と呼ぼうか」
 ざわり。周囲を囲む親衛軍の中から、ざわめきが起こる。
「これをつけていた女人――俺たちの母上は、斬られて果てられた。誰かは知らん。親衛軍の者の手に掛かって」
 瞬間、双眸が鋼の鋭さを帯びる。
「あんたが命じたことか?」
 煌星の麗貌に、束の間動揺が走り、すぐに刺すような鋭さを込めた視線となって、親衛軍の長に向けられる。
それがし――」
 宇文糺うぶん・きゅうの顔色が変わる。
 それを目掛け、
 闇を貫いて銀光が走った。
 おのれの顔に向けて飛来したものを、宇文糺は反射的に刀で払い落としている。その一瞬の隙に、姫将軍の肘が腹部に叩き込まれる。
 呻いて体を二つ折りにした。
 それだけのわずかな間に、揺玉は彼の腕を逃れて走り出している。
 気付いて猿臂えんびを伸ばしたときには、公主はすでに蒼牙の背後に庇われていた。
 が――。
 そのことによって逆に青年が苦境に陥ってしまったことに、揺玉は気付いていた。
 徒手空拳。孤身をもってしても血路を拓くことは不可能に思われるこの状況。まして、彼女を庇っての脱出となれば――。
「見事、斬り抜けて見せるか」
 嘲る煌星の口調が、窮鼠きゅうそをいたぶる猫の残忍さを帯びる。
 二人を囲んだ包囲の輪が、じりっと縮まる。
 剣が――
 歯噛みをしたいほどの口惜しさで、揺玉は思った。
 せめて、この手に剣があれば、この人の足手まといにならずに済むものを!
 そのとき――
 彼方から鯨波の上がるのが聞こえた。
「なに!?」
「始まったな」
 煌星と蒼牙、二つの声が重なる。
 叛乱はんらんだという誰かの声が、耳朶を打った。
「なん……だと……」
「俺たちをなぶるのに時間をかけすぎたようだな。城内の、あんたに味方する兵は、とうに反乱軍の手で制圧されているはずだ」
 頭上には、いつのまに飛来したのか、雪白の翼の鷹が浮かんでいる。その鉤爪に掴まれた剣が、地上めがけて落とされた。
 自分めがけて振ってきた刀身を、蒼牙は空中で受け止める。白刃に刻まれた古代の文字が星明りにきらめき、やがてそれ自身、白く耀きはじめる。
「くっ! それが、真の神剣か」
 嬋媛が呻いた。
「そう。煌星が破壊したのは、青月宮の像が持っていた模造品だ」
 云う声を圧して鯨波が近づく。
 塔を目かけて押し寄せる一軍が、彼らの目に映った。



 叛乱は意外なほどの呆気なさで成功を収めつつあった。
 君主を守るはずの親衛軍からさえ、反乱軍に加わるものが続出し、璞煌星を守る少数の兵は、瞬く間に切り伏せられていったのである。
「無事だったな!」
 安堵の表情を浮かべて、楊駿が走り寄ってくる。
「尤も、そう易々と討たれるようなお前とは、思ってはいなかったが」
 これ以上の苦しい戦も、何度か切り抜けてきている彼らでもある。
 云いかけて、蒼牙が右肩を押さえているのに気付き、気遣わしげな表情になる。
「大丈夫だ」
 答えて、蒼牙は友に笑顔を作って見せた。
「なにが――どうなっているのだ?」
 狐につままれた、といった表情の揺玉に、
「見ての通り。叛乱ですよ。謀反むほんです」
 云いながら、ひょろりとした体つきの、それでいて精悍な雰囲気の男――姜進賢が近づいてくる。
「やらなけりゃ、いつ、こっちが、塔の化け物の晩飯にされるか――って有様でしてね」
「ま、少しばかり、計画実行の時期が早まったが」
 こちらは、やや重厚な雰囲気の男――紅兵営校尉の赫連延耶かくれん・えんやが云う。
「それにしても無茶が過ぎるぞ。また、それに乗って一人でおとりを引き受けるこいつも、こいつだが」
 握った剣の柄で蒼牙を示し、非難の口調を進賢に向ける楊駿に、
「大丈夫です――って云うか、大丈夫だったでしょうが」
 しゃらっとした口調で、灰狼の異名を持つ傭兵は応じた。
「姫さんを迎えに来たわけですからね。そういうときのこの人は、絶対に死にゃしません」
 話題の中心にされた当人は、その“姫さん”の腰を抱いたまま、苦笑しながら二人の顔を等分に眺めている。
 おい――と、それへ赫連延耶が声をかけた。
「それより、国主と宇文不徳と、それからあの女――」
嬋媛せんえんか?」
「そう。その嬋媛。どうやら塔へ逃げ込んだぞ」
「火ぃつけていぶし出しましょうぜ」
 重厚な見かけの割りには過激な性格の、ひぐまこと耿大熊こう・だいゆうが会話に割り込む。
「しかし……いかに城内があの方への怨嗟に満ちていたとはいえ、これほどに呆気なく――」
 なにがなし、暗澹あんたんとした面持ちで楊駿が呟きかけた。そのとき――
 兵たちの間から、声にならぬどよめきが起こった。
 塔が――
 闇の塔が目覚めた。
 その場にいた戦士たちは、一人残らずそう確信した。
 魔王が、その長いまどろみから漸く目覚めた、とでもいうように、暗黒の塔が身を慄わせた。
 そして、その頂上に――。
「嬋媛か!」
 長い髪をなびかせて塔の頂上に立つ女の喉から、歌声が――〈ひつ〉の軍に籍を置くものであれば、あまりに耳に馴染んだ、しかし、永遠に魂の深奥からの戦慄を誘って止まない、あの歌声が流れ出た。
 塔の周囲に燐光が燃え立ち、大地から無数の、白い骨ばかりの手が、銀青色の冑を戴き、ぽかりと虚ろな眼窩がんかを見開いた髑髏が、ゆっくりとあらわれる。
「龍牙兵……」
 楊駿の呻きが、誰かの発した恐怖の声にかき消される。
 すべての戦士たちを取り巻いて、燐光と銀の鎧をまとい、青白く輝く剣を、槍をかざした死者の軍団が、死の舞踏を始めようとしていた。
「下がれ! 皆、かたまれ」
 各指揮者たちの声に混じって、恐怖の叫びや、斬り倒される兵の断末魔の声が聞こえる。
 斬りおとした相手の頭蓋骨に、喉笛に食らいつかれた兵が、絶叫を上げる。
 反対側では、唐竹割りにされた骸骨が、カタカタと骨を鳴らせながら、奇妙な踊りを踊っている。
「奴らの武器を奪え!」
 一閃。正面の敵の小手を斬りおとした蒼牙が声を上げる。
 右手で、掬い取るようにした相手の剣を、投げ槍の要領で投じた。
 頭蓋の真ん中にそれを受けた龍牙兵の一体が、地に倒れ、そのまま動きを停止させた。
「武器を。奴らの武器を奪え」
 声があがる。
「さがれ! 全員下がれ!!」
 蒼牙の行動に、いち早く立ち直った指揮官の下、一部の部隊が、密集隊形をとり、あるいは敵の武器を奪い、かろうじて互角の戦いを始める。
くま!」
 耿大熊を呼びつけた蒼牙が、塔の頂きを示す。
「あそこだ。矢が届くか?」
「おう!」
 答えに、一瞬のためらいもない。
 理由も訊かぬ。
 背負っていた剛弓を外すと、流れるように弓弦をかけ、矢をつがえ、塔の頂きを目掛けて引き絞る。
 弓が、満月のかたちに引かれてゆくにつれ、隊随一の強力の太い腕に、縄をよじったような筋肉が盛り上がってゆく。
 びゅん!
 鋭く、弓弦が鳴った。
 優美な弧を描き、放たれた矢が塔を目掛けて飛び、
「!」
 女の白い仮面に突き立った。
 額の、第三の目のごとき、赤黒い柘榴石ざくろいしに。
 乾いた音がして、仮面が二つに割れる。
 嬋媛が、顔を覆った。
 その瞬間、龍牙兵の動きが、ぴたりと止まった。
 統制も、戦意すら失ったように、かってな動きをはじめる。
 それを、密集体系を取った一隊が切り崩し、退路を確保する。
「おのれ……」
 柳眉を吊り上げた嬋媛が、何か呪文を唱えようとした。その表情が、わずかに変わる。
「これは……」
 塔の持つ気配が、明らかに変化していた。
「《闇》が――あれが、解き放たれる!」 
 歓喜の表情で云う。
 朱唇が再び、楽の音に似た呪文を紡ぎはじめる。
 白い貌が、闇の中に溶けた。



「蒼牙……?」
 兵たちが次々と離脱してゆく中、自分を守るように腰に回されていた手が、そっと解かれるのに、揺玉は怪訝な声を上げる。
 目を合わせ、ちらりと笑みを見せると、
翎児れいじ――」
 鞘を求め、抜き身の剣を納めると、青年はそれを腰にいた。
 視線の向けられた先を追い、まさかと揺玉は小さく声を上げる。
「冥塔へ!?」
「決着を付けに行って来る」
 云うと蒼牙は、
「灰狼」
 姜進賢に声をかける。
「後を頼む。それと――公主を」
 了解しましたと、もとの副官は、戦場で別行動を取るときの言葉と表情を向けた。
「ご無事で」
「ああ」 
 こちらも、常の答えを返して背を向けようとする青年を、
 ――蒼牙。
 呼び止めたい衝動を、揺玉は懸命に堪えた。
 唇を噛んで、そうしていくばくか――自分の決意を告げても止められぬほどに、その後姿が遠ざかってから、
「剣を――」
 傭兵たちに向かって求めた。
「誰か、剣を貸して欲しい」
「姫さん、あんた――」
「あの人は璞炫はく・げんを討ちに行ったのだろう? 璞炫は父母の仇、〈壁〉国の仇――いや。そんな理屈はどうでもいいな」
 姫将軍の――戦場に立つ武人の表情で揺玉は微笑う。
「あの人は、わたしのために命をかけてくれた。ならば、わたしもあの人のために命を掛ける権利がある。そうは思わないか?」
「姫さん、あんた……」
「公主――」
 進賢が、傭兵たちが、部下を取りまとめて撤退にかかっていた楊駿が、瞬間動きを止めて絶句した。
 そして、二三度瞬きを繰り返すほどの間をおいて、
「こいつぁいいや」
 声を上げて笑い出したのは、灰狼こと姜進賢であった。
「天狼が――聶校尉が惚れるだけのことはある。いいですよ。お行きなさい」
「校尉がぁ」
「女に惚れたって!?」
 ざわざわと声を上げる仲間を制すると、自分の剣を鞘ごと揺玉に渡した。
 姜――と、止めにかかる楊駿を手を上げて制する。
「姫さん」
 これも、この男には珍しい真剣な、少し柔らかい笑みを見せた。
「さっきの台詞、あの死にたがりに聞かせておやんなさい。そうして、絶対に二人で戻ってくるんですぜ」
「うん。感謝する」
 剣を腰に佩き、揺玉は既に小さくなった後姿を追って走り出す。
 ふわり。雪白の翼の鷹が羽ばたいて、その後を追った。




                            つづく
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rei★azumi

Author:rei★azumi
ヒト属ネコ科 コタツ猫亜種 読書ネコ
『神鵰侠侶』で金庸にハマった、金庸初心者。
とりあえず、金庸の小説全作品読破を目指すも、突如神鵰侠侶二次小説にハマる。
さて、この先、どうなりますことやら。

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